【クルマを学ぶ】第二次世界大戦は「小型車戦争」 ジープとモータリゼーション (3/4ページ)

FUTURUS

筆者は先日、フェルディナント・ポルシェについての記事を手がけた。その中でも紹介したことだが、ヒトラーは“少数でも戦局を覆すことのできる巨大兵器”を妄想するようになった。陸軍の名将ハインツ・グデーリアンはそれに大反対し、最前線に配属されている他の将軍たちも「奴は発狂したのか」と呆れ果てた。

だが結局、ヒトラーの暴走は止まらなかった。

こうしてドイツは敗北の道をひた走っていく。


■ 力強いクルマに憧れた日本人

アメリカ軍の『ジープ』は、敗戦直後の日本人に絶大なショックをもたらした。

進駐軍の乗り回すあの緑のクルマは、山の上にある神社の石段を駆け上がるそうじゃないか。ろくに舗装されてもいない我が国の道路を、あの『ジープ』とやらは平気で走り回るし故障もしない。そんな化け物みたいなクルマを、アメリカという国は何万台も量産したらしい……。

旧日本陸軍も、『ジープ』に近い用途の小型車両を生産していた。昨年クラウドファンディングサイト『READY FOR?』で復元プロジェクト資金調達に成功した、『くろがね』四起”の愛称で知られる九五式小型乗用車がそれだ。国産初の四駆車で、非常に良好な走破性能を発揮した。だが、その生産台数は5,000台にも及ばない。

ドイツ軍はヒトラーの妄想に振り回されていたが、日本軍の場合は言わば“割り当て主義”という重しを背負っていた。それぞれの部署同士が話し合いで決めた生産数の割り当てに沿って、兵器の増産が行われる。そこまでは他の国と同じかもしれないが、日本人はたとえ情勢に大きな変化があったとしても、一度談合で決めたことは容易に変えられないという特性がある。

『くろがね四起』はその呪縛に勝てなかった。だが、『ジープ』はそんなものとは最初から無縁だ。日本人は、2発の原子爆弾を投下した憎きアメリカ軍のクルマに“果てしない自由と力強さ”を見た。

その時抱いた複雑な感情が、のちの自動車大国としての大いなる道標になったのだ。第二次大戦は人類にとっての究極の悲劇に他ならないが、我が国のモータリゼーションは計らずもそこから起因している。

「【クルマを学ぶ】第二次世界大戦は「小型車戦争」 ジープとモータリゼーション」のページです。デイリーニュースオンラインは、カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る