震災の爪痕いまだ癒えず...石巻市大川小学校の遺族が立ち上がった (2/3ページ)

東京ブレイキングニュース

みんなで抱き合っている子どもたちの姿を翌日に、私たち(遺族)が発見した」(佐藤美香さん)

 こうした経過を説明した上で、「幼稚園は危機管理意識を欠如していた。震災時の避難訓練は園児が机の下に隠れるというものだけ。バスの対応はなかった。職員間でも情報を共有せず、役割分担が機能していなかった。尋常じゃない地震後にバスを発車せるなど安全配慮義務にかけていた。なぜ、2便目と3便目のバスを日常的に一緒にしていたのかという保護者への説明がなされていない」などと話した。

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 さらには、同幼稚園の場合、私立のため、私立学校法による「私学の自由」のために、幼稚園の防災に関しての監督部署が曖昧。公立の場合は、教育委員会が担当だが、私立の場合、窓口が県にあるだけ。なんの権限もない。「私立で何かあっても、遺族がたらい回し」(同)となる現状も訴えた。

 亡くなった5人の園児のうち、4人の園児の遺族は同幼稚園に対して、損害賠償を訴え、仙台高裁で和解となった。和解内容には、裁判所として、「今後、このような悲劇が二度と繰り返されることのないよう、被災園児らの犠牲が教訓として長く記憶にとどめられ、後世の防災対策に活かされるべき」とした上で、幼稚園側から「心からの謝罪をする」旨が入っているが、これまでに直接、遺族には謝罪していない。

 一方、大川小学校では児童74人、教員10人が避難途中に津波の犠牲となった。次女のみずほさん(当時小6)を亡くした佐藤敏郎さん(52)は、「大川小学校だけがなぜ学校管理下で74人の子供を守れなかったのか。その事実は重い。市教委の事後対応は、書面から向き合っているものとは言えない」と発言した。

 大川小の近くには、しいたけ栽培で登っていたり、授業でも使っていた裏山がある。しかし、津波からの避難には使わなかった。地震から30分ほど経った後に、新北上川近くのやや高台になっている場所、通称三角地帯に避難をしようとしたが、その途中、川に遡上した津波があふれ、犠牲となった。

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