京都を愛する旅行ライターが教える「絶対に外さない人気の京都観光20のスポット」

学生の窓口

暑い夏も終わり、過ごしやすい時期になりましたよね。そんな時期に訪れたいのが「京都」。食欲も歴史も情緒も満たしてくれるそんな「京都観光20のスポット」をお伝えします!

●石畳に古い町並、舞妓さんと出会えるチャンスも。「祇園」の街歩きは楽しさ満載

京都の魅力は街歩きにあるといわれます。まるでタイムスリップしたかのような光景に出会える街歩き。おすすめのエリアの一つは「祇園」です。打ち水がされた石畳の道の両側には、格子の美しい町家が軒を連ね、時代劇のセットさながらで、京都らしい情緒を存分に楽しめます。

ひと口に祇園といっても、四条通り北側の祇園白川と、南側の甲部歌舞練場周辺や建仁寺にいたる祇園花見小路沿いでは雰囲気が違います。北側には桜とヤナギが美しい白川の流れに沿って町家が並びます。巽橋を渡って辰巳大明神にお参りする舞妓さんや芸妓さんの姿が見られることもしばしばです。

町家の中には昔ながらの外観はそのままに、お茶屋からフレンチや中国料理、カフェなどに変身を遂げているところも多くあります。

一方、南側は、四条通りと花見小路の角にある、忠臣蔵の大石内蔵助が通ったと伝わる老舗のお茶屋・一力亭の風格ある建物が入り口になります。ここから建仁寺までの花見小路は、ゆったりした通りの両側に、まさに時間が止まったような古いお茶屋や料理屋が並びます。

ちょっと気になった路地を曲がってみれば、外観は町家でも、内部はカフェやモダンなブティックに出会えたりします。そうした発見が街歩きのいちばんの楽しさです。

■住所

京都市東山区祇園町

■交通

京阪電車「祇園四条駅」下車、徒歩5分

阪急電車「河原町駅」下車、徒歩10分

http://www.kyoto-gion.org/

●清水寺から八坂神社までは「三年坂」に代表される風情ある京の坂道の散策を

清水寺から八坂神社にいたる東山沿いの道は、重要伝統的建造物群保存地区に指定されるほど美しい、大人気の散策ルートです。清水坂を折れると、急な石畳の坂道が100mほど続きます。ひときわ絵になる古い建物に挟まれたこの道が「三年坂」。

清水寺の子安の塔に向かう安産祈願の坂だったから、ということで「産寧坂」と書かれることもあります。石段は結構急で「三年坂で転ぶと命は残りの命が三年になってしまう」というウワサもあるのでご注意を。

「二年坂」、「高台寺」、「ねねの道」を経て、「円山公園」、「八坂神社」にいたる道沿いには、清水焼、京菓子、漬物、和雑貨などのおみやげ屋から甘味処、京料理の店やカフェが連なっています。なかには茶道体験ができたり、舞妓さんに変身できるスタジオなど、外国人観光客が大喜びの体験スポットもいろいろあります。

また、東山のシンボル的な存在「八坂の塔」へ向かうと、「八坂道」や「石塀小路」など京都らしい風情が楽しめる小道がたくさんあるので、気の向くまま散策してみるのも楽しいもの。

■住所

京都市東山区清水

■交通

JR京都駅から市バス「五条坂」下車、徒歩10分

http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKind.../

●四季折々の彩りがゆったりとした川面映える「嵐山」。世界遺産の「天龍寺」も

街中の観光にちょっと疲れたら、ぜひ訪れたいのが「嵐山」です。京都の町の西の端に位置し、春の桜、夏は深い緑、秋は紅葉に彩られ、四季を豊かに感じられる国の史跡・名勝地です。嵐山はもともと標高381.5mの山の名前なのですが、今は大堰川(桂川)に掛かる「渡月橋」の周辺一帯を嵐山と読んでいます。

嵐山をバックにした渡月橋は、まさに絵葉書のように美しい光景です。

ここは保津川の船下りの終点でもあり、ちょっとした遊覧船や手漕ぎボートを楽しむことができます。川面から眺める景色も、また違った魅力があります。嵐山観光にはレンタサイクルもあるので、サイクリングを楽しむのもいいものです。

渡月橋は人も、自転車も、クルマも渡ることができ、観光用の人力車なども行き交います。橋を渡った中洲は嵐山公園として整備され、お花見の時期には大変な賑わいです。川の両岸には、京料理の茶店や甘味処、おみやげ屋がたくさんあります。

嵐山では世界文化遺産に登録されている「天龍寺」には立ち寄っておきたいもの。暦応2年(1339年)、足利尊氏が後醍醐天皇の霊を弔うために、夢窓国師を開山として創建した寺で、臨済宗天龍寺派の大本山となっています。

残念ながら現在の伽藍は、度重なる火災で焼失し再建されたものですが、庭園は当時の原型を残しています。夢窓国師の作庭した曹源池庭園は、亀山や嵐山を借景にした池泉廻遊式で一見の価値があります。

■住所

京都市西京区嵐山

■交通

阪急嵐山線「嵐山駅」下車、徒歩約5分

京福電気鉄道嵐山本線「嵐山駅」下車、徒歩約5分

https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKin...

●都を逃れた貴人が暮らした隠れ里「大原」。静寂の山里におどろくほど洗練された文化が残る

市内からバスで約1時間。京都の北東部、比叡山の西麓に位置する「大原」の里は、今でこそ、京都から半日、一日観光で訪れることができる所ですが、かつては都からの脱出のルートにあって、世を捨てた人々が隠遁生活を営むのにふさわしい山深い里だったのです。

平清盛の娘、建礼門院をはじめ、西行や鴨長明など、著名な文化人が大原で暮らしたことが知られています。ここは、「延暦寺」に近いこともあり、「勝林院」、「来迎院」、「三千院」、「寂光院」など、今に残る天台宗の寺院が多く建立されました。

こうしたことから、山里にもかかわらず、今に残る仏教文化や名庭園が多く残されているのです。

三千院は、優美な国宝の阿弥陀三尊像、浄土世界を表現する往生極楽院、苔むした池泉の庭園など、見どころが多くあります。また、建礼門院が隠妻して平家一門の菩提を弔った寂光院は、聖徳太子が推古2年に建立された古刹で、近くには建礼門院陵が残ります。

大原はまた、諸行無常の歴史に所縁が深いため、しばしば歌やドラマの舞台として取り上げられてきました。「京都大原三千院~♪」のフレーズが有名な「女ひとり」の曲は、定番の京都ソングとして知られています。三千院前の参道には茶屋やおみやげ屋が並び、大原の名産である赤しそを使った「しば漬け」なども販売されています。

しば漬けは大原が発祥の地なのです。

■住所

京都市左京区大原

■交通

JR京都駅から市営バスで約1時間、大原バスターミナル下車

http://kyoto-ohara-kankouhosyoukai.net/

●大修理を終え建立当初の極楽浄土の姿がよみがえった「平等院」の鳳凰堂

世界文化遺産でもある「平等院」鳳凰堂といえば、まず、思い浮かぶのは十円硬貨。中堂を中心に左右に両翼廊、尾廊が広がるシンメトリーなその建物は、私たち日本人にはおなじみのシルエットです。

平等院の歴史の始まりは平安時代後期。関白・藤原道長の別荘を、道長没後の永承7年(1052年)に、息子の頼通が寺院に改めたのが始まりです。その頃、日本中に「末法思想」が大流行。「仏陀の入滅から2000年以上たつと、仏法はすたれ、天災異変が続いて世の中が乱れる」と人々は不安におののいていました。

永承7年がまさに「末法」の元年。皇族・貴族、僧侶らは、何とか極楽往生したいと盛んに寺を造営。頼通も翌年、平等院に極楽浄土をイメージした阿弥陀堂(鳳凰堂)を建立したのです。

全体の大きさは高さ約13.5m(屋根の鳳凰像を除く)、幅約47m、奥行き約35m。東の方角に向かい、朝日を正面に受けるようになっています。

堂内には、平安時代の最高の仏師といわれる定朝による阿弥陀如来坐像が安置されています。以来、極楽往生を願う人々の浄土信仰に支えられ、約1000年前の姿のまま、今日に至ったのです。

国宝でもある平等院鳳凰堂は半世紀に1回大修理が行われてきましたが、最近では2012年から修理が行われ2014年秋にすべてが終了しました。今回の修理では、建立当初の姿を再現するため、屋根瓦を光沢のない「古色仕上げ」に替え、扉や柱は赤茶色の顔料「丹土(につち)」で塗り直しました。

また、平等院には、先端的設備を導入した「ミュージアム鳳翔館」があり、平等院鳳凰堂の貴重な扉絵、鳳凰、梵鐘、雲中供養菩薩像などの国宝物を収蔵・公開しています。

■住所

京都府宇治市宇治蓮華116

■交通

京都駅からJR奈良線で17分(みやこ路快速)、「宇治駅」下車、徒歩10分

京阪電鉄宇治線で「京阪宇治駅」下車、徒歩10分

http://www.byodoin.or.jp/

●「お西さん」と呼ばれ、親しまれる「西本願寺」は、国宝や文化財の宝庫!

親鸞を宗祖とする浄土真宗の寺院です。でも、「○○本願寺」というのがあちこちにあるけれど・・・という疑問ももっともです。「西本願寺」は堀川通りにあるのに対して、少し鴨川寄りの烏丸通り沿いには、同じく広い敷地を擁する「東本願寺」があるのですから。

西本願寺は、正式には浄土真宗本願寺派の本山本願寺であって、「西」はつきません。実は

慶長7年(1602年)、徳川家康は本願寺第12代教如上人に土地を与え「真宗大谷派の本山東本願寺」を別立させました。浄土真宗が多くの信徒を集めるようになるにつれ、その社会的影響力を恐れた時の権力者の思惑で、本願寺の末寺・門徒は二分されたのです。

分立した本願寺が「東」を名乗ったことから、それに対して西本願寺と呼ばれるようになりました。京都の人たちは、親しみを込めて「お西さん」と呼んでいます。

その西本願寺は、京都駅に近い市内中心部に広大な境内を有し、10を越える国宝や重文の伽藍が圧巻な大寺院です。典型的な真宗建築で、全体に開放的で自由に参拝できるような構造の本堂である阿弥陀堂、御影堂はともに国宝です。

建築や彫刻に当時の粋を凝らした豪華な襖絵で飾られた書院、豊臣秀吉の建てた聚楽弟の遺構、桃山様式の飛雲閣、「日暮し門」という別名をもつ国宝の唐門、わが国最古の能舞台・北能舞台など、数えあげればきりがないほど、見るべきものが詰まっています。

1994年「古都京都の文化財」として、世界文化遺産に登録さています。

■住所

京都市下京区堀川通花屋町下ル

■交通

JR京都駅から市バス約5分、「西本願寺前」下車

http://www.hongwanji.or.jp/index.html

●“千年の都"の中心だった「京都御所」は、今は広大な御苑の自然の中に静かに佇む

鎌倉時代中期から明治維新の後に首都が東京に遷都されるまで、長きにわたり歴代天皇の皇居であった「京都御所」。約63ヘクタールという広大な「京都御苑」の中、東西約250m、南北約450m、東西南北に6つの門を持つ築地塀に囲まれた敷地に建つのが京都御所です。

江戸時代までは200もの宮家や公家の邸宅が、御所の周囲に建ち並んでいました。明治になり、宮家や公家も東京へ移り、これらの邸宅は取り除かれ公園として整備されたのです。御苑内には「仙洞御所」や「大宮御所」、旧公家屋敷跡や歴史的な価値のある庭園が点在。

樹齢100年を越える樹林に囲まれた自然豊かな御苑は、市内でも特別な空間となっています。

「京都御所」の現在の建物は、安政2年(1855年)に造営されたものですが、一部は平安朝の様式を模して建てられたといわれています。歴代天皇が即位の礼に使用された紫宸殿、清涼殿、御常御殿、皇后宮常御殿などがあります。

小御所前には大きな池を配した回遊式庭園もあります。

御所内部の見学は事前予約が必要で、往復はがき、ホームページ、もしくは宮内庁京都事務所参観係の窓口で受付けています(仙洞御所、大宮御所も同じ)。また、春、秋の一般公開の期間は、事前申請なしで参観することができます。

■住所

京都市上京区京都御苑3番

■交通

地下鉄烏丸線「今出川駅」下車、徒歩5分

http://sankan.kunaicho.go.jp/guide/kyoto.html

●喧騒を離れた「哲学の道」では、琵琶湖の疎水と緑のささやきを友に歩きたい

京都市左京区、東山の麓を流れる「琵琶湖疏水」に沿った小道が、「哲学の道」です。「銀閣寺(慈照寺)」から「法然院」下を進み、「永観堂」に近い「若王子神社」に至る約1.5kmの散策路で日本の道百選にも選ばれています。

哲学の道という名称は、明治の頃、このあたりに多くの文人が住んでいたことに由来します。その頃は「文人の道」と称されていましたが、西田幾多郎や田辺元らの哲学者がこの道を散策しながら思索にふけったことから「哲学の道」という名がつけられました。

車道より一段高くなった疏水沿いの小道には約450本の桜が植えられ、春には花のトンネルの下を散策できます。秋の紅葉も美しく、季節は多くの観光客でにぎわいますが、普段は静かな散策路。カップルには最高のデートスポットのひとつです。

道沿いには、数は多くはありませんが、落ち着いた雰囲気のカフェや個性的な店やギャラリーが点在。ゆっくりとした時間を楽しむのにピッタリです。

■住所

京都市左京区銀閣寺町付近から若王子町付近の疏水沿い

■交通

JR京都駅より市バス「銀閣寺前」下車、

http://tetsugakunomichi.jp/

●歌舞伎にも登場する豪壮な三門は圧巻。臨済宗大本山「南禅寺」

臨済宗大本山である「南禅寺」は鎌倉時代の正応4年(1291年)、亀山法皇の離宮だった地を賜わった無関普門(大明国師)、規庵祖円(南院国師)によって創建され、「京都五山」の最高位に列せられる権威ある寺院です。

南禅寺といえば、まず、禅宗寺院の正門の特徴である壮大な三門に圧倒されます。歌舞伎では石川五右衛門がこの三門の楼上で、名セリフ「絶景かな、絶景かな」を叫んだということになっています。でも、この門の建設は五右衛門の死後30年たってからでした。

南禅寺は紅葉の名所として知られていますが、この三門の周囲にはカエデが多く、特に秋には楼上から洛中の眺めはまさに絶景です。南禅寺には見るべきものが多く、大方丈と小方丈は国宝。勅使門や絢爛豪華な襖絵の多くは重要文化財に指定されています。

方丈前庭は小堀遠州作「虎の子渡し」という枯山水庭園で、国の名勝です。

三門の両側に並ぶ塔頭寺院、金地院には有名な庭園「鶴亀の庭」や、南禅院天授庵の池泉回遊式庭園があり、こちらも訪れる価値があるでしょう。

南禅院の前にあるモダンなレンガ造りのアーチ型の橋脚も、実は、貴重な史跡。この橋は明治21年に建設され、現在も琵琶湖からの水を取り込み、流している「水路閣」です。

南禅寺参道では、名物「湯豆腐」の看板が目を引きます。戒律の厳しい禅宗の南禅寺では精進料理として湯豆腐が食べられていて、それが名物として広まっていったとか。また、この周辺は水に恵まれていたので、美味しい豆腐を作ることもできたのです。

17世紀から続く「奥丹」や、建物が有形文化財という「順正」などの老舗が有名です。

■住所

京都市左京区南禅寺福地町

■交通

地下鉄東西線「蹴上駅」下車、徒歩10分

市バス「南禅寺・永観堂道」下車、徒歩15分

http://nanzen.net/index.html

●外国人に人気の観光スポットで第1位。朱色の鳥居が異次元に誘う「伏見稲荷大社」

「伏見稲荷大社」は、全国に3万あるといわれる稲荷神社の総本山です。昔から商売繁盛、金運アップの神様として知られ、多くの参拝者を集めてきました。伝説によれば、和銅4年(711年)2月初午の日、稲荷山三ケ峯に、お稲荷様が降ってきて鎮座した、といわていれます。

歴史的には、弘仁7年(816年)に、現在のところに社殿が移された記録が残っています。いずれにしても古くからある稲荷神社で、五穀豊穣、家業繁栄の神として長く信仰されてきました。

境内には朱色も鮮やかな重厚な社殿や摂末社が建ち並び、本殿のうしろから奥社に通じる参道にある朱塗りの鳥居は山の上まで続きます。これが有名な「千本鳥居」で、神秘的な雰囲気だと外国人観光客をも魅了してやみません。

また、伏見稲荷大社には「おもかる石」の名で親しまれる石灯籠があります。灯籠のアタマの石を持ち上げ、軽いと感じれば願いが叶い、重いと感じると願いは叶わないとか。あなたも試してみますか?

門前町もにぎやかで、稲荷寿司を売る店や名物スズメの串焼きを売る店がずらっと並びます。特に2月最初の午の日は、伝説にちなんで「初午大祭」がにぎやかに行われます。

■住所

京都市伏見区深草藪之内町

■交通

JR奈良線「稲荷駅」下車、すぐ

京阪電車「伏見稲荷駅」下車、徒歩約5分

http://inari.jp

●400年の歴史を持つ京の台所「錦市場」で、"おばんざい"や京野菜を食べつくしたい!「錦市場」

「京都のおいしいものを、一度にみんな食べたい!」そんなワガママを叶えてくれるのが、"京の台所"として知られる「錦市場」です。京都市内で一番の繁華街・四条河原町からも近く、現在では修学旅行生や観光客が必ず訪れる「新京極」や「寺町京極」を西に折れる錦小路通りにあるのでアクセスも抜群。

京都の人たちには「にしき」と呼ばれ親しまれています。市場の全長は東の「錦天満宮」から西の後院通りまでの390m。市内の小路がどれもそうであるように4mほどの狭い路地に120店以上が軒を連ねています。

実は市場の歴史は古く、江戸時代から魚問屋が商いをしていました。というのも、冷蔵庫のなかった時代、この場所では良質の地下水を汲み上げることができたからなのです。以来400年以上にわたり、京の食を支えてきました。

現在のカラフルなアーケードが完成したのは1993年のことです。

錦市場は一般的な地方都市の市場とは違い、「安いものを探す」場所ではありません。京都ならではの食材、ここでしか手に入らない高品質の旬の食材などの"ほんまもん"が豊富に揃っているのが「にしき」なのです。一般の人だけでなく、料亭や料理屋の板前さんなどのプロが仕入れに来るのも納得です。

京野菜はもちろん、稀少な洋野菜をそろえる『川政』、料理屋への卸しを専門に100年を越える歴史を持つ『麩房老舗』、"おばんざい"がズラリと並ぶ『井上佃煮店』などの老舗から、「冨美家 錦総本店」のように、創業60年になるうどん屋がバウムクーヘンを売出し大人気、なんていう新潮流も生まれています。

店舗の2階を利用して食事を出す店も多く、ランチタイムには大賑わいになっています。

■住所

京都市中京区錦小路通

■交通

市営地下鉄烏丸線「四条駅」下車、徒歩3分

阪急京都線「河原町駅」下車、徒歩4分

http://www.kyoto-nishiki.or.jp/

●毎年5月には華麗な王朝絵巻が繰り広げられる「上賀茂神社」は、深い森に囲まれたパワースポット

京都には「賀茂神社」が二つあります。市内を北から南へ流れる鴨川は、京都御所の東北角近くで高野川と合流し下流へ向かいますが、その三角地帯にあるのが賀茂御祖神社、通称「下鴨神社」です。そこから3kmほど上流にあるのが「上賀茂神社」。

鴨川は上賀茂神社までは「賀茂川」で、そこから下流が「鴨川」となるので下の賀茂神社には「鴨」の字が当てられるようになったのです。鴨川は「かもがわ」ですが、神社は「しもがも」「かみがも」とにごります。

上賀茂神社の境内は緑あふれる広大な森で、本殿・権殿はいずれも流造の典型として国宝になっています。他の41棟は重要文化財です。この神社の創建は、天武天皇の御代。北北西にある神山に賀茂別雷神が御降臨になったことから、現在の地に社殿を造営したと伝えられます。

以来、厄除、八方除、電気の守り神、必勝の神として信仰されてきました。「古都京都の文化財」のひとつとして世界文化遺産にも登録。

一の鳥居から二の鳥居までは開放的な芝生で、「加茂の競馬(くらべうま)」の神事が行われる場所です。賀茂神社といえば、上・下両社で行われる、京都三大祭の「葵祭」でも有名です。また、境内にある「片岡社(かたおかのやしろ)」は「源氏物語」の著者・紫式部が通ったとして知られ、縁結びの強力パワースポットとして大注目!されています。

■住所

京都市北区上賀茂本山339

■交通

市バス・京都バス「上賀茂神社前」下車、徒歩すぐ

http://www.kamigamojinja.jp/

●大政奉還のシーンでおなじみの大広間の本物がある「二条城」は、時間をかけて見学したい

観光名所に寺院が多い京都で、ひときわ異彩を放つ、スケールの大きな見どころがあるのが「二条城」です。「古都京都の文化財」として世界文化遺産にも登録。宮廷文化の趣が色濃い京都のなかにあって、徳川幕府の歴史そのもののような史跡なので、時間をかけてゆっくり見学したいもの。

二条城は慶長8年(1603年)、関ケ原の戦いで勝利した徳川家康が都での滞在場所として造営したのが始まりです。その後、三代家光は徳川家の威光を都に示すため、伏見城の遺構を一部移し、堀と石垣に囲まれた本格的な城に大改修しました。

寛永3年(1626年)には、ほぼ現在の規模の東西約500m、南北約400mとなったのです。それから250年を経た慶応3年(1867年)、徳川15代将軍・慶喜がこの城で大政奉還の意志を表明し、徳川幕府は最期を迎えました。

現存する国宝・二の丸御殿は江戸時代の武家風書院造りの代表的なもので、車寄、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院6棟からなっています。部屋数33、800畳あまりというスケールです。狩野派の名作の障壁画や桃山美術の粋をこらした彫刻、飾金具など、外観の豪壮さに反して、内部では華麗な装飾も見ることができます。

内堀に囲まれた本丸は2万平方メートルの敷地を有し、かつては五層の天守閣を持つ本丸御殿がそびえていました。しかし、天明の大火など二度の大火焼失。現在の建物は、京都御苑にあった旧桂宮御殿を移したもの。この建物は皇女和宮が14代将軍家茂に嫁ぐ前に住まわれおり、徳川家の歴史には所縁がある建物です。

現在、二条城には江戸時代、小堀遠州の作による二の丸庭園(特別名勝)、山桜や里桜が美しい明治時代の本丸庭園、サトザクラやヤエベニシダレ、八重紅枝垂桜など約220本が植えられた昭和時代の清流園の3つの庭園があります。

尚、明治時代に一時、離宮になったことがあるので、正式には『元離宮二条城』と称します。

■住所

京都市中京区二条通堀川西入二条城町541

市営地下鉄東西線「二条城前駅」下車

■交通

http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/

●御所のみやびな趣が残る壮麗な伽藍と御室桜で名高い「仁和寺」

「仁和寺」といえば思い浮かぶのは、古文の授業で親しんだ「徒然草」に登場する" 仁和寺にある法師"でしょうか? ちょっと間抜けなお坊さんの話ですが、これが執筆された鎌倉時代には、すでに世に知られた門跡寺院でした。

創建は仁和4年(888年)にまでさかのぼります。光孝天皇の勅願で建築が始まり、宇多天皇の時に落成。以来、天皇家からの特別な保護を受け、江戸時代が終わるまでは歴代の門跡は皇室出身者が務めていたため、「御室御所」としても知られています。

現在は真言宗御室派の総本山ですが、仁和寺を訪れると「お寺というより、御所みたい」と感じるのはそのためです。

創建当時の堂塔伽藍は応仁の乱(1467-77年)で焼失してしまいましたが、寛永年間(1624-44年)に御所の建て替えに伴って、紫宸殿(現在の金堂・国宝)、清涼殿(現在の御影堂・重文)、が移築されました。

金堂はまさに御所の趣きで、襖絵も華やかなものです。9万平方mもの広大な境内には、二王門(重要文化財)や五重塔(重要文化財)、池泉式庭園などが点在。霊宝館には、阿弥陀三尊像(国宝)、孔雀明王像(国宝)、三十帖冊子(国宝)など、貴重な文化財を保存。

「古都京都の文化財」として世界文化遺産にも登録されています。

また、仁和寺といえば、「御室桜」が有名です。ここの桜はちょっと変わっていて、花弁が大ぶりで色も濃く、高さが2~3mしかありません。人の背丈より低く咲くので、独特なお花見を楽しむことができるのです。約500本の桜のほとんどが"有明"という品種で遅咲きのため、京都の桜シーズンは、例年、仁和寺で最後を飾ります。

■住所

京都市右京区御室大内33

■交通

京福電車「御室仁和寺駅」下車、徒歩約3分

http://www.ninnaji.or.jp

●公家から武士へ、権力の移行は文化も変えた。「金閣寺」が象徴する北山文化を見る

「金閣寺」といえば、足利幕府の3代将軍・義光によって建てられた、「北山文化」の象徴として日本史の教科書にも登場する世界遺産です。正式には、同じく義光によって創建された禅宗寺院、臨済宗「相国寺」の塔頭寺院の一つで、「鹿苑寺」といいます。

舎利殿である「金閣」があまりに有名なため、金閣寺の名で呼ばれるようになりました。

鎌倉時代、この地には公卿の別荘があったのですが、応永4年(1397年)、義満が譲り受け、御所に匹敵するほどの規模の山荘「北山殿」を造ったのが始まりです。義満の死去に伴い、山荘は寺となりました。

漆塗りに金箔を貼った三層殿閣の金閣は、唯一、北山殿の面影を残す建造物です。金閣の特徴は、各層に別々の建築様式を用いていること。1層は寝殿造、第2層は武家造、第3層は当時、中国から渡ってきたばかりの禅宗仏殿造です。

それまでの伝統的公家文化と、新興勢力である武家文化、日明貿易で大陸からもたらされた新しい禅宗の文化の集合体なのです。ちなみに、「銀閣寺」は時代が下がり、8代将軍足利義政によって建てられましたが、この頃には公家文化と武家文化の融合から新しく生まれ"わび・さび"や"幽玄"を特徴とする「東山文化」が興隆し、対照的に簡素で気品のある銀閣寺が建てられたのです。

金閣寺は、昭和25年、学僧・林承賢による放火で炎上焼失。このショッキングな事件は、三島由紀夫の「金閣寺」や水上勉の「金閣炎上」など、文芸作品の題材ともなりました。1955年(昭和30)には復元され、現在のような北山を借景に、鐘湖池に映る美しい姿を取り戻しました。

境内では、池泉回遊式・舟遊式庭園、萩の違い棚と南天の床柱で有名な茶室「夕佳亭」も見ることができます。

■住所

京都市北区金閣寺町1

■交通

市バス「金閣寺道」下車、すぐ

http://www.shokoku-ji.jp/k_about.html

●桜、紅葉の名所としても知られる「清水寺」の境内には、恋に効くパワースポットの神社も

「清水寺」へは、たくさんのおみやげ屋が軒を連ねる参道・清水坂を上って訪れます。「清水の舞台」といわれるように、市内を一望できる標高242mの音羽山中腹に建つこの寺は、京都を訪れる人は必ず一度は来る日本を代表する世界遺産です。

その歴史は古く、宝亀9年(778年)延鎮上人により開山、延暦17年(798年)に日本初の征夷大将軍・坂上田村麻呂によって創建されたと伝えられます。北法相宗の本山で、西国観音霊場三十三カ所第16番札所として、いつの時代も庶民の信仰の場として親しまれてきました。

有名な 本堂(国宝)は寛永10年(1633年)徳川家光の命により、最長約12mの巨大な柱を並べ、釘を一本も使わない「懸造り」という手法で、崖に沿って組み上げられたもの。木造建築最新技術での調査によっても清水の舞台は、信じられないほど強固な耐震性を持っていることが証明されています。

本堂自体は寄せ棟造り、檜皮葺で、本尊は十一面千手観音立像です。

境内には、仁王門、鐘楼、三重塔、経堂、田村堂、朝倉堂、釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院、子安の塔、成就院など重文指定の建造物が点在。本堂東側の石段の下には、寺名の由来ともなった名水が流れ落ちる「音羽の滝」があり、柄杓で水を汲む人たちでいつもにぎわっています。

また、本堂の北にある鎮守社「地主神社」は、近年、ご利益のある「えんむすびの神社」として大ブレイク。江戸時代からある「恋占いの石」に詰めかける若い男女が絶えません。

境内は春にはソメイヨシノが楽しめるお花見スポットとして、秋には本堂崖下の渓谷「錦雲渓」が華麗に彩られ紅葉スポットとしても高い人気を誇っています。

■住所

京都市東山区清水1-294

■交通

市バス「清水道」下車、徒歩10分

京都バス「東山五条」下車、徒歩10分

http://www.kiyomizudera.or.jp/

●千年の昔も、今も、のどかな田園風景「嵯峨野」で、時を越えた野遊びを楽しむ

「嵯峨野」の観光の中心は嵐山の北、小倉山のふもとの丘陵地帯のあたりです。平安時代は洛外であり、天皇、貴族たちの狩りや遊楽地として人気がありました。今も、田畑、竹林が多く、洛中とはまた違った趣の寺、古い農家や民家などが点在し、かつての雰囲気を残しています。

散策やサイクリングなどで訪れてもいいでしょう。

中でも、かつての雰囲気を最も色濃く残しているのは奥嵯峨です。嵯峨野の最も奥にあたる愛宕街道の「鳥居本」一帯は、歴史的景観が残る「伝統的建造物群保存地区」に指定されています。愛宕神社の一之鳥居近くには「鳥居本町並み保存館」がありますが、ここを過ぎたあたりから景色は、山際に町家風民家が並ぶ風景から、昔ながらの茅葺き屋根の農家が増え、千年の昔を思わせるのどかな風景がひらけてきます。

また、このあたり一帯は、かつて都から死者を運んできて風葬にした地でもあり、「あだし野(化野)」とも呼ばれていました。境内に約8000体の石仏・石塔が並ぶ「化野念仏寺」は、弘法大師が死者たちを弔うために建てた寺です。

このあたりには、平家物語ゆかりの地も多く、「祇王寺」や「滝口寺」には栄枯盛衰の世に翻弄された女性たちが隠れ住んだところとして知られています。多くの和歌や俳句、小説、謡曲などに日本文学に縁の深い嵯峨野ですが、現在は、作家・瀬戸内寂聴師も「寂庵」という庵を結んでいます。

寂庵から「さがの人形の家」や田園の野仏などを見ながら西へ進めば、旧嵯峨御所と呼ばれる「大覚寺」。嵯峨野では特出した大伽藍を持ち、嵯峨天皇の山荘であった由緒ある寺院ですが、時代劇の撮影などにもよく利用されています。

また、小倉山の方へ道をとれば、南へ下れば俳人向井去来が閑居した「落柿舎」や、鎌倉時代、歌人・藤原定家が百人一首を選んだという「二尊院」、重要文化財の多宝塔などが残る「常寂光寺」、源氏物語ゆかりの「野宮神社」などの見どころが点在します。

小倉池から美しい竹林を抜けて「大河内山荘」「天龍寺」へ向かってもいいでしょう。

■住所

京都市右京区嵯峨

■交通

JR京都駅からJR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅下車

阪急河原町駅から阪急京都線「嵐山」下車

https://www.kyokanko.or.jp/arashiyama/index.html

●三方を築地塀に囲まれた「龍安寺」の石庭、小さな庭の15の石に秘められた意味は?

京都の洛北には3つの世界遺産を中心に、名跡、名庭、有名寺院が並ぶ「きぬかけの路」があります。「金閣寺」から「仁和寺」に至る2.5kmの道ですが、「石庭」で有名な「龍安寺」はまさにその中心で、毎日、数多くの観光客が訪れます。

特に外国人に人気が高いのが石庭です。

「龍安寺」は、室町時代、応仁の乱で東軍総大将として活躍した細川勝元が、宝徳2年(1450年)に創建した臨済宗妙心寺派の禅寺です。その後、戦火で焼失してしまい、長享2年(1488年)に復興されましたが、石庭はその際に造られたといわれます。

その後も何度も火災に遭い、主要な伽藍を焼失。寛政9年(1797年)、塔頭の一つ、西源院から移築したものが、現在の方丈となっています。

有名な石庭ですが、三方を築地塀に囲まれた意外と狭い枯山水の庭です。白い砂の上には15個の石が配されています。実は、石庭ははっきりした作庭年や作者が不明で、その15の石に秘められた意味をめぐっては、多くの議論が交わされています。

「虎の子渡し」「七五三の石組」「黄金分割」などといわれますが、いずれも決め手にかけ、依然、「謎に満ちた庭」として人を魅了し続けています。いつもたくさんの人達が本堂の縁側に座り、庭を眺めながら、それぞれの思いにふけっています。

境内には大小三島を配した広い鏡容池を中心とし、衣笠山を借景とした池泉回遊式庭園もあり、江戸時代にはこちらの方が石庭より人気があったそうです。石と砂だけの枯山水を鑑賞した後に見る緑豊かな庭は、また新鮮です。

紅葉の名所としても有名です。

■住所

京都市右京区龍安寺御陵下町13

■交通

京福電車「竜安寺道駅」下車、徒歩7分

http://www.ryoanji.jp

●陰陽師ブームからメジャーな観光スポットに仲間入り。不思議なパワーを持つ「晴明神社」

京都の寺院の中でも異彩を放つ存在が「晴明神社」。平安時代のスーパー陰陽師、安倍晴明を祀った神社だからです。テレビや映画ですっかり有名になった晴明は孝元天皇の御後胤といわれ、幼少の頃から才気活発。独特の陰陽道を確立し陰陽寮天文博士として、朱雀、村上、冷泉、円融、花山、一条と六代の天皇に仕えました。

陰陽道の理論から吉凶を判断。晴明が定めた朝廷の祭政や日常の規範は、現在も宮中行事の規範とされています。寛弘2年(1005年)の没後、一条天皇によって晴明邸は晴明神社として祀られました。

晴明神社を訪れると、提灯や絵馬などあちこちに"五芒星"(ごぼうせい、晴明桔梗印)が目に入ります。ちょっと洋風テイストのマークと伝統的な神社建築のコントラストが、不思議な雰囲気です。死者がよみがえったという伝説の「一条戻橋」を旧材の一部で組み立て再現した橋や、清明が自由に操っていたという鬼神"式神"の石像や、晴明の念力によって湧き出たと伝えられる井戸があります。

近年の陰陽師ブームもあって、魔除けや厄除けになる五芒星のついたお守りなどのグッズは人気。毎年、秋分の日には「晴明祭」が行われ、湯立神楽、鼓笛隊、鉾車、飾馬の行列などが見られます。

■住所

京都市上京区堀川通一条上ル806

■交通

市バス「一条戻り橋」下車、徒歩2分

市バス「堀川今出川」下車、徒歩2分

地下鉄「烏丸今出川駅」下車、徒歩10分

http://www.seimeijinja.jp/

●1,000体の千手観音立像が並ぶお堂は、長さも世界一の木造建築「三十三間堂」

「三十三間堂」として知られる天台宗妙法院の門跡・蓮華王院の本堂は、"33"という数字にこだわった寺院です。この数字は観音菩薩の変化身三十三身に基づく数を表しています。

長寛2年(1164年)、後白河上皇が政務を司った院政庁「法住寺殿」に、平清盛が造進して創建されたのが始まりです。約80年後に一度焼失しましたが、鎌倉時代の文永3年(1266年)に再建され、今日に至っています。

南北約120mの横に長いお堂は、木造建築では世界一、長い建物です。内陣の柱と柱の間数が33にあることから、三十三間堂と呼ばれようになったといいます。創建当時の外装は朱塗りで、堂内は極彩色の花や雲文様の飾られた華やかな建物だったそうですが、今はその名残はわずかです。

圧巻はなんといっても、千手観音坐像(国宝)を中央に配した1000体もの千手観音立像(重文)です。10列の段に等身大の立像が整然と並び人々を見下ろしています。この中に、会いたい人に似た顔の像が見つかる、といわれていますが、あなたも探してみませんか?

境内には豊臣秀吉ゆかりの南大門と「太閤塀」と呼ばれる築地塀があります。いずれも桃山時代の様式の重文・建造物です。また三十三間堂では、毎年、正月に歴史的な「通し矢」の流れを引く弓道大会が開かれ、京の風物詩の一つになっています。

■住所

東山区東大路七条西入

■交通

京阪電車「七条駅」下車、徒歩約7分

市バス「博物館三十三間堂前」下車、すぐ

http://sanjusangendo.jp/

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