仏教の荒行に今も残る「切腹の掟」は自殺教唆にあたるのか? (2/2ページ)

新刊JP



■「途中で行をやめたら自死」は自殺教唆にあたるのか?
 しかし、俗世間に生きる身として「途中でやめるなら切腹か首つり」という掟は「自殺教唆」にあたらないの?と考える人は少なくないはずだ。
 この疑問について、都内を中心に活動する弁護士のAさんに意見を聞いてみたところ、「行者の方がもともと自殺の意思をお持ちで、お一人で自由な意思のもと自害された場合は自殺教唆罪にはなりませんが、例えば行者の方にもともと自殺の意思がなかったのに、周囲の人が暗に『自殺しろ』とそそのかしたりして自害されたのであれば、自殺教唆罪か、場合によっては殺人罪も可能性としてはありえると思います。宗教の教義にどう書いていようと、自殺をそそのかした点は刑罰の対象になりますので。ただ、実際問題として現在の日本で、周囲の宗教家たちが自殺をそそのかすことはあまり考えにくいので、自殺教唆罪にはあたりにくいのではないでしょうか」という回答を得ることができた。
 「千日回峰行」の挫折による自殺は、宗教上の教義に則って「自分の意思で死を選んだ」という扱いになる可能性が高いようだ。

 『人生生涯小僧のこころ』では塩沼氏の半生と修行の体験談、そこで得た気づきや学びなどがつづられ、信仰の道を歩むことで磨いた同氏の精神性と心に触れることができる。
 世俗化が進んでいる近年の仏教界だが、世間と隔絶されたなかで過酷な修行に励む人々もいまだ存在する。身も心も信仰に捧げる仏教徒の考えに触れることは、現代に生きる私たちにとって、少なくとも非常に新鮮な体験となるだろう。
(新刊JP編集部)
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