武士の時代に「武士道」は存在しなかったって本当? 考案者は5千円札のあの人

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現在の5千円札に描かれているのは、樋口一葉という女流作家。その前の5千円札に描かれていた人物を覚えているでしょうか。ぼんやりとメガネをかけたおじさんが思い浮かびませんか? 彼こそが「武士道」という言葉を作り、日本人の心を、生きざまを、世界中に広めた教育者、新渡戸稲造(にとべ いなぞう)なのです。

すでに武士のいない明治の世において、発行された「武士道」という本には、かつての下剋上(げこくじょう)をたくらむ武士の荒々しさではなく、日本人として理想的な内面が著されたものでした。

■「武士道」はなぜ書かれたの?

新渡戸稲造(にとべ いなぞう)は、1862年、南部藩士、新渡戸十次郎の三男として生まれ、武士としての教育を受けて育ちます。その後、札幌農学校(現在の北海道大学)で学び、アメリカやドイツへと渡りました。帰国後は、東京帝大教授、東京女子大学長などを務めました。

ではなぜ、「武士道」は書かれたのでしょうか。答えはその冒頭に書かれていました。

『1889年頃、ベルギーの法学者・ラヴレーと宗教の話題になった。ラヴレーに「日本には宗教教育というものがないのですか?」と尋ねられ、ないと答えると「宗教なしで、いったいどのようにして道徳教育を授けるのですか?」と繰り返された。私はその質問に愕然(がくぜん)とし、即答できなかった。』

そう、できなかったので、書いてみた。それが「武士道」だったのです。つまり「武士道」の内容は道徳教育なのです。

当時、この本は英語で書かれ、アメリカで出版されました。好評を博し、版を重ね、さまざまな言語で世界中に出版されます。日本には「逆輸入」される格好で出版されたのです。そもそも、日本には「武士道」ついて書かれたものはありませんでした。あれば、きっと新渡戸はラヴレーに即答できたでしょうし、本を書くこともなかったでしょう。

ただし、「武士道」のルーツはありました。宮本武蔵の「五輪書」や、小幡景憲が武田信玄の軍法を軍学として集めた「甲陽軍鑑(こうようぐんかん)」、山本常朝の「葉隠(はがくれ)」などが有名です。

確立されていなかった考えをわかりやすく解説し、世界に日本人の礎となる考え方はコレだ!と広めた新渡戸稲造のおかげで、特定の宗教がないという、世界から見るとちょっと理解できない部分を説明できたのです。

■実際の江戸時代の武士は?

戦のない江戸時代、武士といっても、いわば現代の「年金生活者」。関ヶ原の戦いで功績を挙げた「祖先」のおかげで、お給料がもらえるようなもの。びんぼうな武士もごろごろいました。武士は食わねど高楊枝、とはよく言ったものです。

おかげで不正も横行していました。

家長が亡くなっているのに届け出ず、自宅療養中としてお金をもらい続ける、いまでいう「年金サギ」。また、武士の自決は切腹が定番ですが、江戸時代では自刃できない人もいたため、刃の代わりに扇子を使う偽装切腹「扇子腹(せんすばら)」などが挙げられます。切腹は、死を恐れない武士の象徴ともいうべきもの。悪いことをすれば罪人として斬首なのに対し、切腹は「無実」や「過ちを認めた潔さ」。死ぬから武士なのではなく、潔く行動するための切腹、という意味です。

江戸時代の武士も言葉としてはなくても、感覚的に武士道はわかっていたはず。それでも仕事がない、お金も他力本願。あまりに情けない状況は、武士を持て余してしまった幕府にも責任があったように思います。

■まとめ

 ・「武士道」という言葉が誕生したのは、明治時代

 ・旧5千円札の肖像にもなった「新渡戸稲造」の著書

 ・英語で書かれた「武士道」は海外で大人気。のちに日本語化され「逆輸入」された

 ・江戸時代の武士は「年金生活者」。武士道どころか不正受給が横行していた

明治に生きた新渡戸稲造の「武士道」は、江戸時代の武士よりも武士らしく高潔なものだったと言えるでしょう。

(沼田 有希/ガリレオワークス)

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