武士の時代に「武士道」は存在しなかったって本当? 考案者は5千円札のあの人 (1/2ページ)
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歴史

現在の5千円札に描かれているのは、樋口一葉という女流作家。その前の5千円札に描かれていた人物を覚えているでしょうか。ぼんやりとメガネをかけたおじさんが思い浮かびませんか? 彼こそが「武士道」という言葉を作り、日本人の心を、生きざまを、世界中に広めた教育者、新渡戸稲造(にとべ いなぞう)なのです。
すでに武士のいない明治の世において、発行された「武士道」という本には、かつての下剋上(げこくじょう)をたくらむ武士の荒々しさではなく、日本人として理想的な内面が著されたものでした。
■「武士道」はなぜ書かれたの?
新渡戸稲造(にとべ いなぞう)は、1862年、南部藩士、新渡戸十次郎の三男として生まれ、武士としての教育を受けて育ちます。その後、札幌農学校(現在の北海道大学)で学び、アメリカやドイツへと渡りました。帰国後は、東京帝大教授、東京女子大学長などを務めました。
ではなぜ、「武士道」は書かれたのでしょうか。答えはその冒頭に書かれていました。
『1889年頃、ベルギーの法学者・ラヴレーと宗教の話題になった。ラヴレーに「日本には宗教教育というものがないのですか?」と尋ねられ、ないと答えると「宗教なしで、いったいどのようにして道徳教育を授けるのですか?」と繰り返された。私はその質問に愕然(がくぜん)とし、即答できなかった。』
そう、できなかったので、書いてみた。それが「武士道」だったのです。つまり「武士道」の内容は道徳教育なのです。
当時、この本は英語で書かれ、アメリカで出版されました。好評を博し、版を重ね、さまざまな言語で世界中に出版されます。日本には「逆輸入」される格好で出版されたのです。そもそも、日本には「武士道」ついて書かれたものはありませんでした。あれば、きっと新渡戸はラヴレーに即答できたでしょうし、本を書くこともなかったでしょう。
ただし、「武士道」のルーツはありました。