【日本の技術】乾電池は日本で生まれた技術だってほんと? (2/2ページ)
向上心あふれる屋井は1885年のときに「連続電気時計」を発明、電気製品に関する日本初の特許を取得しました。
ところがこの連続電気時計、まったくといえるほど売れない…画期的な技術でありながらも電源が「ダニエル電池」だったため、液もれ注意、手入れが必要、おまけに冬場は凍って使えない…とさんざんな品物だったのです。
■乾電池の生みの親は「電気時計」
普通のひとならここで挫折、でしょうが、屋井は「新しい電池、作れば良くね?」と動き出し、わずか2年後の1887年に「乾電池」を作り上げたのです。
「乾」と表現されているものの、実際は薬品を紙にしみこませた構造なので、トリックといえばそれまでですが、基本的な考え方は現在に受け継がれるほど画期的なものでした。
やがて日清戦争が始まると、屋井の乾電池は「液もれしない」「寒いところでも使える」と大人気、「乾電池王」とまで呼ばれるほどになりました。ところが特許を申請したのは1892年のことで、わずか1ヶ月の差でほかのひとが特許を取得…構造が違うため屋井の乾電池も取得できましたが、第一号にはなれませんでした。当時、特許を出願するためには多大な費用がかかったため、連続電気時計での失敗から「特許をとっても、もうからない」と放っておいたのがアダとなったのです。
その結果、乾電池の特許は各国で取得され、「屋井」の名前はだんだんと薄れてしまいます。1927年に他界、後継者がいなかったため会社「屋井乾電池」も工業会の名簿から消え、残念ながら乾電池=屋井と知るひとはほとんどいなくなってしまったのです。
現在にも通じる画期的な技術を生み出した屋井は、富や名声よりも、きっすいのエンジニアとしての生涯を選んだのでしょう。
■まとめ
・乾電池を発明したのは、時計職人の屋井先蔵
・日本初の「電気時計」を発明した人物
・液もれせず、寒冷地でも使える乾電池は大ヒット商品となったが
・特許の申請をなかなかしなかったため、「日本初の乾電池」になれなかった
(関口 寿/ガリレオワークス)