【日本の技術】乾電池は日本で生まれた技術だってほんと?

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目覚まし時計でおなじみの「乾電池」。いまではコンビニや100円ショップでも販売される日常的な存在になっていますが、日本発の技術なのはご存じでしょうか?

乾電池の生みの親は時計職人の屋井先蔵(やいさきぞう)で、日本初の電気時計を発明! ところが当時の電池は取り扱いがきわめてメンドウでまったくと言ってよいほど売れませんでした。そこで考えたのが乾電池で、世界的な大ヒット商品になりましたが、特許を取得していなかったので大儲かりどころかパクられ放題…手頃な値段で買えるようになったのも、商売には縁のないエンジニアのおかげなのです。

■昔の電池は「取り扱い注意」

電池の歴史は非常に長く、もっとも古いのは「バグダット電池」と呼ばれる壺(つぼ)型のもので、およそ2,000年前に作られたと考えられています。ただし、電気を発生することは証明されたものの、何のために作られたのか不明なため「用途不明品」に分類され、最初の電池と呼べるのは1800年に作られた「ボルタ電池」です。

ボルタ電池の構造は非常にシンプルで、

 ・銅の板

 ・亜鉛の板

 ・硫酸

の3つだけで、銅がプラス、亜鉛がマイナス極となって電気を発生します。その後、改良版とも呼べる「ダニエル電池」が登場しますが、基本的な原理はほぼ同じ。液体に金属をひたす構造なので、持ち運びはもちろん、傾けただけで硫酸がこぼれるやっかいな代物。子供でも安全に使えるようになったのは「乾電池」ならではの話なのです。

ここまで海外勢に押されっぱなしの電池ネタですが、乾電池は意外なことにメイド・イン・ジャパン。時計職人・屋井先蔵(やいさきぞう)が世界初の実用的な乾電池を発明したのです。

屋井は1863年、江戸時代・末期に武士の子として生まれました。ところが明治維新とともに家は没落…15歳のときに時計店に奉公に出たのがすべての始まりです。向上心あふれる屋井は1885年のときに「連続電気時計」を発明、電気製品に関する日本初の特許を取得しました。

ところがこの連続電気時計、まったくといえるほど売れない…画期的な技術でありながらも電源が「ダニエル電池」だったため、液もれ注意、手入れが必要、おまけに冬場は凍って使えない…とさんざんな品物だったのです。

■乾電池の生みの親は「電気時計」

普通のひとならここで挫折、でしょうが、屋井は「新しい電池、作れば良くね?」と動き出し、わずか2年後の1887年に「乾電池」を作り上げたのです。

「乾」と表現されているものの、実際は薬品を紙にしみこませた構造なので、トリックといえばそれまでですが、基本的な考え方は現在に受け継がれるほど画期的なものでした。

やがて日清戦争が始まると、屋井の乾電池は「液もれしない」「寒いところでも使える」と大人気、「乾電池王」とまで呼ばれるほどになりました。ところが特許を申請したのは1892年のことで、わずか1ヶ月の差でほかのひとが特許を取得…構造が違うため屋井の乾電池も取得できましたが、第一号にはなれませんでした。当時、特許を出願するためには多大な費用がかかったため、連続電気時計での失敗から「特許をとっても、もうからない」と放っておいたのがアダとなったのです。

その結果、乾電池の特許は各国で取得され、「屋井」の名前はだんだんと薄れてしまいます。1927年に他界、後継者がいなかったため会社「屋井乾電池」も工業会の名簿から消え、残念ながら乾電池=屋井と知るひとはほとんどいなくなってしまったのです。

現在にも通じる画期的な技術を生み出した屋井は、富や名声よりも、きっすいのエンジニアとしての生涯を選んだのでしょう。

■まとめ

 ・乾電池を発明したのは、時計職人の屋井先蔵

 ・日本初の「電気時計」を発明した人物

 ・液もれせず、寒冷地でも使える乾電池は大ヒット商品となったが

 ・特許の申請をなかなかしなかったため、「日本初の乾電池」になれなかった

(関口 寿/ガリレオワークス)

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