江戸時代の忍者は、秘密の存在ではなかったって本当? (2/2ページ)
すると吉宗は、全国の情報を集めるのと同時に、代用食集めを御庭番に命じたのだ。
忍者が食料集め?と違和感を感じるひとも多いだろう。だが、情報のプロであり、さまざまな知識を持ったエリート集団でもある御庭番は、災害対策にはうってつけの存在でもある。やがては「農業のプロ」をスカウトするにまで発展し、サツマイモを普及させた青木昆陽(こんよう)らも、御庭番によって活躍の場を得たのだ。
江戸後期になると、御庭番は「外務省」の役目も果たし、情報収集や防衛にも力を発揮する。諸外国が日本海に現れるようになると、新潟に砲台の設置を提案するが、予算不足で不可能とわかると砂丘に4万本あまりの黒松を植え、外国船に内情を見せないようにと「スクリーン」を作ってしまう。ポケットマネーでおこなったというから、その使命感たるや恐れ入る。
間宮海峡を発見した探検家として知られる間宮林蔵(りんぞう)も、もとをたどれば農民で、御庭番にスカウトされ隠密として活躍した人物である。もちろん単なる「探検」ではなく、背景にはロシアとの微妙な関係があったのはいうまでもない。
間宮が活躍したのは1800年代、つまり御庭番は50年以上も活躍したことの証である。公然の職業と聞くと少々残念な気もするが、日本の歴史に忍者が深く関与していたと知ると、教科書の読み方も変わってくるだろう。
■まとめ
・8代将軍・吉宗が率いる御庭番は、職業バレOKな忍者集団だった
・尾張藩対策が目的だったが、当の尾張藩が弱体化して仕事がなくなった…
・情報収集能力を活かし、飢饉や外国対策で活躍した