実はいなかった!? 聖徳太子は「正体不明」だってほんと? (1/2ページ)

歴史の教科書でおなじみの「聖徳太子」。十七条の憲法を制定し、7人の話を同時に聞けるなどで有名なのに、じつは正体不明なのはご存じでしょうか。
独特な髪型で笏(しゃく)を持った肖像画は「お札」に使われる率ナンバー1で、戦前に2回、戦後は5回、計7回の不倒記録。ところが、法隆寺に保管されている原画には「川原寺」の文字がみつかり、「これが聖徳太子の肖像」かどうかはっきりしなくなりました。服装も後年のものだから別人じゃない? という説も根強く残っているナゾの人物なのです。
■「カンペ」を持ち歩く聖徳太子
歴史に興味がないひとでも、聖徳太子の名前は知っているでしょう。教科書や図鑑に記されている内容から特徴をあげると、
・飛鳥時代(592~710年)の人物
・冠位十二階(かんいじゅうにかい)や十七条の憲法を制定
ほかにも馬小屋で生まれた、同時に7人(10人説もある)の話を聞けるなど常人離れしたエピソードもありますが、文書にまとめた日本初の憲法を作った功績がたたえられ、「お札」にも肖像が使われています。7種類のお札に使われ、登場回数ナンバー1の人物なのです。
聖徳太子の肖像が使われたお札と発行された年をあげると、
・乙百円券(1930年)
・い百円券(1944年)
・ろ百円券(1945年)
・A百円券(1946年)
・B千円券(1950年)
・C五千円券(1957年)
・C一万円券(1958年)
と、時間とともに高額紙幣に使われるようになりました。余談ですが、手に持っている棒状のものは「笏(しゃく)」で、儀式の道具であるのと同時にメモを貼り付けておく「カンペ」でもあります。複数の話を同時に聞けたのも、笏を上手に使えたからと考えれば合点のゆく話です。