【歴史豆知識】次期大河ドラマの主人公「真田信繁(幸村)」ってこんな人! (2/3ページ)
背後を固めた父・昌幸は智謀を巡らせて真田家の自立を図り、勢力拡大を目指します。天正13年にはいわゆる第一次上田合戦で、ついに徳川氏と対決。侵攻してきた徳川軍を撃退するのです。恐るべき手腕といわなければなりません。
中央では豊臣秀吉がその勢力を伸張していましたので、昌幸は豊臣家に通じ、真田家は大名としての基礎を固めていきます。秀吉は家康を牽制する者を求めていましたので、昌幸は真田家を高く売ることに成功したのです。
その代わり、息子の信繁(幸村)は豊臣秀吉への人質として大坂にやられます。信繁(幸村)は、人質としてあちこちへ行かされる「忍」の半生だったのです。
■東軍の徳川主力を抑え込む!
その後、皆さんもご存じのように徳川家康の時代が来ます。きっかけになったのは関ヶ原の戦いですが、このとき真田家は二つに割れてしまいました。兄・信之(信幸)は東軍に、父・昌幸と信繁(幸村)は西軍に付いたのです。
ただ、東軍西軍どっちが勝つか分かりませんから、どっちが勝っても、勝った方が負けた方の命乞いをすればいいわけで、しょむないといえばしょむないですが、自家のサバイバル戦術としては決して悪いものではありません。
父・昌幸と信繁(幸村)は、徳川秀忠率いる徳川軍主力3万5,000を、わずか2,000の兵力で上田に足止めし、関ヶ原に向かわせないという神業をやってのけます。しかし、関ヶ原では、その主力が到着しないでも西軍が負けるという体たらく。さぞ二人はガッカリしたでしょう。
西軍に付いたので、本来であれば死罪になるはずの父・昌幸と信繁(幸村)でしたが、信之(信幸)の家康への嘆願もあって命だけは助かります。信之(信幸)の奥さんが、徳川家の重臣・本多忠勝の娘(しかも徳川家康の養女)だったので、そのとりなしがあったのです。
命は助かりましたが、父・昌幸と信繁(幸村)は紀州の九度山に配流となってしまうのです。そこでも信繁(幸村)は忍従の生活を強いられます。この蟄居生活の中、父・昌幸は死去します。信繁(幸村)はつらかったことでしょう。
■うっぷんを晴らすかのように大奮戦!
その後、豊臣秀吉が死亡し、また天下が騒然としてきます。