アメリカにも衝撃を与えた!日本画の技でアメリカの壮大な風景を描いた「小圃千浦」の生涯 (2/3ページ)

Japaaan

日本では見られない広大な景色を日本画のテクニックを駆使して描いた「サクラメントヴァレーの日没」は、アメリカの画壇にも衝撃を与えました。燃えるような夕陽の迫力には圧倒されます。「山上の湖」では自ら鉱石のラピスラズリを砕いて作った顔料を使い、深く美しい青で氷河湖を描き出し「オバタ・ブルー」と賞賛されました。

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1941年に日米が開戦すると千浦は敵国人としてみなされ、11万人の日本人とともに強制収容所に送られました。収監されたタンフォラン収容所では「いかなる状況下にあっても、教育は食糧同様に重要だ。なかでも芸術は、もっとも建設的な教育だと信じる。」との信念のもと、収容所内に「タンフォラン美術学校」を設立。多くの日本人の心を癒やし、生きる希望を与えました。

終戦後には大学に復職し、バークレー校で名誉教授となります。その後は日本の自然と文化を紹介することに身を尽くしました。毎年のヨセミテ渓谷へのスケッチ旅行は欠かさず、1975年に90歳でバークレーで亡くなりました。

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