最高額はいくら? 日本プロ野球選手の歴代年俸ランキング! (3/3ページ)
中村紀洋(42)=5億円(2002、2003、2004年)……1992年に近鉄に入団すると、高卒新人ながら公式戦でシーズン2本塁打を記録。1995年からレギュラーに定着するようになり、1999年には初めての全試合出場を達成して、ゴールデングラブ賞を獲得。2001年は4番打者として活躍し、打点王を獲得。シーズン終了後、球団が提示した複数年契約を拒否して、年俸5億円プラス出来高払い1億円の単年契約を結んだ。2014年の12月2日に横浜DeNAから自由契約公示され、本人は現役続行を表明したものの、どの球団からもオファーは無く、2015年は事実上の引退状態になっている。
松中信彦(41)=5億円(2006、2007、2008年)……1996年に逆指名で福岡ダイエーにドラフト2位で入団。1999年に1軍の一塁手のレギュラーに定着すると、23本塁打を放つなど、ダイエー初のリーグ制覇・日本一に貢献した。2004年に三冠王(最多安打、最高出塁率を含め打撃五冠)を達成し、2005年に2年連続の本塁打王、3年連続の打点王を獲得。2006年1月には日本プロ野球史上最長の複数年契約となる7年契約を結び、この年は実質5億円の年俸となった。2015年9月29日に退団を発表している。
城島健司(39)=5億円(2005年)……1995年に福岡ダイエーに入団するものの、捕手としての技量に問題があり、2軍スタート。1997年開幕から1軍のレギュラー捕手に定着すると、打率3割を維持し、不動の正捕手となった。2004年6月1日に通算1000本安打を達成。その夏に開催されたアテネオリンピックの本選に日本代表として出場して、4番打者・正捕手として活躍した。チームが福岡ソフトバンクホークスに変わった2005年、年俸が5億円に達した。
ダルビッシュ有(29)=5億円(2011年)……2005年に日本ハムに入団。自主トレ中に右ひざを痛めたため、春季キャンプは2軍スタートだった。2006年には公式戦10連勝を記録し、そのままシーズン終了まで1度も敗戦投手になることはなかった。2007年には初めての開幕投手を勤め、最多奪三振、ゴールデングラブ賞・ベストナインのタイトルを獲得。パ・リーグのシーズンMVPに選ばれた。2010年のシーズン終了後、メジャー挑戦が取り沙汰されたが、10月19日に自身の公式ブログで日本ハム残留を宣言。当時の現役日本人選手では最高年俸の5億円で契約した。24歳での5億円到達は、イチローの25歳を抜いて史上最速&最年少で、先発投手で5億円を突破したのも史上初となった。
ちなみに、日本で初めて1億円を超えたのは、落合博満(61)が1987年にロッテから中日に移籍した時の1億3000万円で、外人選手を含めた最高年俸は2003年に巨人で活躍したロベルト・ペタジーニ(44)で7億2000万円だ。