日本に来てすらない? 「黄金の国ジパング」はマルコ・ポーロの幻想ってほんと?

学生の窓口

「黄金の国ジパング」とも呼ばれる日本。この呼び名は「東方見聞録(とうほうけんぶんろく)」がきっかけなのはあまりにも有名な話ですが、マルコが日本に来たかどうか、はっきりしていないのはご存じでしょうか?

東方見聞録に記された日本には「純金でおおわれた宮殿」が登場したり、日本人のごちそうは「人肉」などと、本当に見たの? な内容が連発… 実際に日本を訪れたのではなく、うわさ話をもとにした幻想、とする説も根強く残っています。世界的なヒット作になったけれども現存するのは写本だけ、各国語に訳されているけど内容はチグハグで、マルコ・ポーロって何人にいたの? 説もあるナゾの人物なのです。

■床の厚みも調べたマルコ?

14世紀の冒険家として知られるマルコ・ポーロは、ヴェネツィア共和国で生まれた商人で、現在の中国やモンゴルに滞在、「東方見聞録」はその間に記したとされています。日本が世界に紹介された書物としても有名で、「黄金の国・ジパング」=豊かな国として紹介されているのはご存じでしょう。ちょっとホメ過ぎ! な感じは否めませんが、内容はまったくの逆… マルコのジパングはどこの国? と疑いたくなる記述のオンパレードなのです。

日本の紹介文を抜粋すると、

 ・住民は大量の金を持っている

 ・純金でおおわれた宮殿があり、床は厚さ指二本分の金で作られている

 ・真珠も多く持っていて、なかでも「赤い真珠」は貴重

あぁそうですか… きっと14世紀の日本はそうだったのかも知れません。

また、別の章では、

 ・敵を捕まえて「料理」し、親類にふるまう

 ・この島のひとにとって「人肉」が一番のごちそう

なんともトホホな紹介がなされています。

赤い真珠は仏教の「さとり」の例えとして登場するものですし、人肉大好き! なんて事実もありません。金の厚みが指二本分と具体的に記しているものの、床をはがしたの? と突っ込みたくなってしまいますね。こんな記述が、マルコは日本に来ていない説の源になっているのです。

■マルコのジパングは予言だった?

黄金の国に来たどころか、マルコ・ポーロっていったいダレ? 説も根強く残っています。写本の内容にも多くの違いが見られ、複数のひとが書いたのでは、とも考えられているからです。

東方見聞録のなかにはお茶や箸(はし)などの記載がほとんどなく、中国やモンゴルに滞在していたのに一度も話題にならないの? と指摘する声が多くあります。また、マルコがたどったとされるルートを検証したところ、まったくアテにならなかったというデータもありますので、日本どころか中国にも行ってないのでは? そもそもマルコって実在したの? 説まで存在し、ナゾの人物と呼ぶにふさわしい状態になっているのです。

世界的なヒット作になったことも一因で、フランス語やドイツ語、ラテン語など多国語に訳されたのですが、言語ごとに内容もビミョウに異なり、統一感がありません。それなら原本を確認すれば、と言いたいところですが、すでにこの世には存在せず、在ったとしても口述(こうじゅつ)なのでこれもビミョウ、なにが正なのかも不明な書物、とも表現できるのです。

ジパングに関する記述は、ベンガル湾の「アンダマン諸島」と混同したとする説もあり、いったいどこが日本? な感じですが、最近の研究により、この地域のひとには日本の縄文(じょうもん)人と同じタイプのDNAが多いことがわかりました。マルコのジパングは「予言」だったのかもしれませんね。

■まとめ

 ・マルコ・ポーロは日本に来たわけではない説が強い

 ・黄金の建物以外にも、人肉が好物など、とんでもない内容が紹介されている

 ・東方見聞録の原本は現存せず、あっても口述なのでアテにならない

 ・多国語に訳されたが、内容が不揃いで、どれが本当か断定は困難

(関口 寿/ガリレオワークス)

「日本に来てすらない? 「黄金の国ジパング」はマルコ・ポーロの幻想ってほんと?」のページです。デイリーニュースオンラインは、豆知識歴史雑学都市伝説カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る