男が惚れる真のスターはドラ1選手の影にいた! プロ野球「驚異の成り上がり伝説」

日刊大衆

男が惚れる真のスターはドラ1選手の影にいた! プロ野球「驚異の成り上がり伝説」

 人生が左右される運命のドラフト会議。1位で指名される選手は多くの報道陣に囲まれ、翌日のスポーツ紙の一面を飾る。

 一方で、下位指名の選手はさして注目もされず、契約金も上位指名選手の半分以下。入団時から差がついてしまうのがプロ野球界の常だが、その後の成績は必ずしも順位通りにはいかないもの。今回は、そんな下位指名(ドラフト5位以下)から成り上がった現役選手を紹介する。

 現役で最高の成り上がり選手といえば、最年長の中日・山本昌(50)。日大藤沢高から83年ドラフト5位で中日に入団したが、当時、野球解説者だった星野仙一氏は「あまりに不格好なモーションでコントロールもない。球も130キロ前後しか出ないから、がっかりした」と話すほど、評価は低かった。

 そんな山本を覚醒させたのが、メジャー・ドジャースへの野球留学だった。「そこでスクリューボールを覚えたのが大きかったんです。日本に帰ってくると才能が開花し、94年には沢村賞を獲得するまでになりました」(スポーツ紙記者) それからの活躍は言うまでもない。通算勝利数は219(9月10日現在=以下同)と、歴史に名を残す大投手にのし上がった。

 同じくベテラン投手のDeNA・三浦大輔(41)も下位指名の星。

 91年にドラフト6位で大洋に指名された。彼の高校時代を取材していたベテラン記者は、こう話す。「奈良の高田商にいたんですが、県内では注目される存在でした。ただ、当時の奈良は天理、智辯学園の二強で、甲子園出場は叶いませんでした。ドラ1で巨人に入団した谷口功一率いる天理に阻まれたんです」 全国的に無名だったが、プロ1年目からマウンドに上がり、活躍。「ハマの番長」として、名実ともに横浜のエースに成長した。

 野手のベテランでいえば、97年ドラフト5位で中日に入団した井端弘和(40)。 「堀越高校のときから、めちゃくちゃ上手かったですよ。だけど、背が低いのがネックでした。スカウトからは“もう少し大きければ”っていう声が上がっていましたからね」

 亜細亜大学に進学すると、守備と走塁のセンスを発揮。プロ入り後はゴールデングラブ賞7回と、いぶし銀の活躍を見せ、現在は巨人でプレーしている。

 今年、メジャーから出戻ったオリックスの中島裕之(33)。00年にドラフト5位で西武に指名されたが、彼もまた無名の選手だった。「兵庫県の伊丹北高という無名校にいた中島は、1番で投手というチームの大黒柱として活躍していました。その素質に目をつけた西武のスカウトは、野手で育てたいと考え、野球部の監督に“ショートの練習をさせてくれ”“右打ちを徹底してくれ”と、お願いしていたんです。当時から打者としての才能を見抜いていたんでしょう」(アマチュア野球担当記者)

 入団後は二軍で英才教育を受けると、主軸を任されるようになる。12年末にはメジャーに挑戦。思うような成績は残せなかったが、下位指名から驚異の成り上がりと言えよう。

 中島と同じく00年のドラフト5位でヤクルトに入団したのは畠山和洋(33)。今季は、同僚の山田哲人と熾烈な打点王争いを繰り広げた。専大北上高で甲子園にも出場した彼の評価は、当時から打撃面では高かったという。高校野球などアマチュア野球関連の著書が多い手束仁氏は、こう話す。「通算62本塁打で打撃の評価は高かったけど、守るところがなかったんですね。ただ、どこの球団も残っていたら欲しいという逸材ではあったと思います」

 ただ、畠山は二軍時代、サボり魔として有名だった。「パチンコはするわ、練習はしないわ、素行が悪くて仕方がなかった。それを更生したのが、二軍打撃コーチだった新井幸雄さん。スパルタ教育によって、長打力が磨かれて今の畠山があるんです」(ヤクルト担当記者)

 畠山のようにアマチュア時代、大砲候補として知られた存在だったのが、広島の新井貴浩(38)だ。広島工から駒澤大に進学し、4年時には打点王とベストナインを獲得。ところが、プロの評価は高くなかった。「当時は打撃にも穴があったんですね。広島が“地元だから獲っておこう”となってドラフト6位で、ようやく指名されたんです」(手束氏)

 低評価に反発するかのように1年目から長打力を見せつけ、05年には本塁打王を獲得。ベテランとなった今では、精神的な支柱となっている。

 上位指名されない理由は実力以外にも多々ある。たとえば、08年のドラフトでソフトバンクに5位指名を受けた攝津正(33)は、JR東日本東北時代からスカウトの評価は高かった。「年齢がネックだった。指名時は26歳。25歳を超えると球団は渋ります。即戦力で活躍してもらわないと困るけど、そこまで勝負はできないから下位指名になったんです」(ソフトバンク担当記者)

 彼はその淡い期待に応え、1年目から中継ぎとして勝利の方程式の一角を担う。

11年から先発に転向すると、5年連続二桁勝利を記録するなど、エースとして大車輪の活躍を果たしている。ちなみに年俸は4億円。

 中日の山井大介(37)にも、変わった入団経緯がある。「01年のドラフト6巡目で中日に指名されたんですが、それは所属していた河合楽器が休部したためなんです。山井は社会人1年目だったので、特例措置として指名されました(※中卒や高卒から社会人野球のチームに入部した者は入部後3年、それ以外の場合は2年経過していないと指名できないが、所属チームが廃部か休部した場合は特例措置となる)。 河合楽器からは久本祐一も4巡目で中日に入団しているので、もしかしたら抱き合わせ指名だったのかもしれませんね」(手束氏)

 そんな山井を一躍有名にさせたのが、07年日本シリーズにおける完全試合目前の継投だろう。偉業とはならなかったが、今季の開幕投手を務めるなど、いまだになくてはならない存在だ。

 今季からヤクルトのユニフォームを着た成瀬善久(29)は、名門・横浜高のエースだったにもかかわらず、03年のドラフトでは6巡目でロッテに入団。「1学年下の涌井秀章のほうが、素材は上といわれていましたからね。恩師の渡辺元智さんも“成瀬はよく、あそこまで育った”って言っていましたよ」(前出のアマチュア担当記者)

 変則的な「猫招き投法」を身につけると、07年には16勝1敗、防御率1.81と圧倒的な成績を残し、10年にはチームの日本一に貢献した。

 楽天の後藤光尊(37)がドラフトで指名された順位は、なんと10巡目。「このときのオリックスは15巡目まで指名しています。これは、そのうち川崎製鉄千葉の後藤を含め、社会人からは6人。要は、1年目から計算できる社会人選手で駒を揃えようという狙いがあったんでしょう」(手束氏)

 タイトルを獲るような目立った成績はないものの、安定感のある守備とシュアな打撃で欠かせないユーティリティプレーヤーとしての地位を確立する。年俸は1億5000万円と、見事に10巡目からの大出世となった。

 ロッテの大ベテランである福浦和也(39)。93年に7位で指名された福浦は、この年のドラフト最終指名者となったのだ。「この年は、逆指名元年で各球団指名選手数を絞っていたんですが、ロッテだけは7人目を指名したんです。それが福浦。当時のロッテは地元重視の傾向があり、“習志野高校の福浦が残っていたから”くらいの気持ちで獲ったんだと思いますよ」(手束氏)

 福浦は投手として入団するも肩を壊し、二軍打撃コーチだった山本功児氏の進言により打者に転向。01年に、ついに打撃の才能を爆発させると同年に首位打者を獲得。通算打率は3割を超えている。ドラフト最終指名者が2000本安打達成となれば、こんなドラマチックなことはない。

 最後に、これからの飛躍が期待される“若手ドラフト下位選手”を、手束氏に挙げてもらった。「まずは去年のドラフト7位でロッテに入団した脇本直人。健大高崎高時代は甲子園で大暴れしました。才能は誰もが認めるところなので、これから出てきてほしいですね。あとは12年のドラフト5位で中日に入った溝脇隼人ですね。九州学院高時代から甲子園で活躍するなど、高校野球ファンの間では知られた存在です。ポジションはセカンドかショートで、中日はここを固定できていないのでチャンスだと思います」 スポットライトを浴びるドラ1の陰で、下位指名選手が成長を遂げてスターになる。それもまたプロ野球の一つの醍醐味。来季、新たな“成り上がり伝説”が作られるかもしれない。

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