何を飲んでいたの? つまみは? 江戸時代の日本の居酒屋はこんな感じだった!

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世界的な和食ブームのためか、日本の居酒屋が世界でも人気です。さまざまな料理があって、食事もできるしお酒も飲める!……日本の「居酒屋」は外国人からすると珍しい存在なのです。この居酒屋ですが、そもそもは江戸時代にできたのが始まりなのです。

■江戸には1,808軒も居酒屋があった!

現在の東京に負けず劣らず、江戸時代の江戸にも居酒屋が多数ありました。1811年(文化8年)の調査によると、江戸には「1,808軒」の「煮売居酒屋」があったことが分かっています。この「居酒屋」という名前が現れるのは寛延年間(1748-1751年)のことで、このころには、居酒屋として開業する店が多数だったと考えられます。というのは……。

■もともと酒屋が店先で始めたもの!

後年「居酒屋」に発展する「お酒を飲ませる店」は、まず酒屋の店先で、そこに「居て」お酒が飲めるという「居酒」(いざけ)の商売を始めたのが大本といわれているのです。独身男性が多かった江戸の町では、この居酒がお酒を飲むスタイルとして元禄時代(1688-1704年)にはすでに確立されていたようです。

また、居酒といっても最初は立ち飲みばかりだったようです。ですから、近年流行した「立ち飲み屋」というスタイルは、江戸時代に先祖帰りした飲み屋の形態ともいえるのです。

■店先には「さかな」が並んでいました!

江戸時代の「居酒屋」がどんなだったかを描いた絵を見ると、どんなものが肴(さかな)として供されるのか分かるように、店先に「ゆでダコ」「野鳥」がつるしてあったり、魚などを置いているものが多いのです。現在ならプラスチックなどでできた食品サンプルを置くところですが、江戸時代ですから実物を置くしかなかったのですね。

また、居酒屋というと「縄のれん」というイメージがありますが、これが一般的になるのは江戸時代の終わりぐらいのこと。明治時代後半にはすっかり「縄のれん = 居酒屋」が定着していました。


■江戸時代の居酒屋にはどんな「さかな」があったか?

江戸時代の居酒屋にどんな「さかな」があったか例を挙げてみましょう。

・芋の煮ころばし
・湯豆腐
・ぬた
・ゆでダコ
・煮しめ
・数の子
・おでん
・イワシ塩焼き
・カモの吸い物
・ねぎとりのなべやき
・から汁(おからを入れたみそ汁)
・油揚げのうま煮
・ショウサイフグのスッポン煮
・フグの吸い物
・アンコウ汁
・ねぎま(ネギとマグロを煮た鍋料理)
・マグロの刺し身
・刺し身の盛り合わせ
・田楽

こうして並べてみますと、どれもおいしそうで「ここで一杯やるか」と思ってしまいますね(笑)。江戸時代はマグロがたくさん取れたようで、その影響で居酒屋にも安価にマグロを供するメニューがあったのです。ちなみに上記の「から汁」は、「二日酔いに効く(予防になる)」という話があったことから人気でした。

■江戸時代は一年中燗酒を飲んでいた!

江戸時代にはお酒を「燗」をして飲むことが普通でした。現在のように「冬は熱燗!」ではなく一年中燗をしたお酒を飲んでいたのです。ですから、江戸時代の居酒屋では「チロリ」という容器にお酒を入れ、これを銅壺で湯煎して温め、いい温度になったらチロリを席まで運び、そこからお酒を注いで飲んでいたのです。

では、このお酒の値段はいくらぐらいだったのでしょうか? 飯野亮一先生の『居酒屋の誕生 江戸の呑みだおれ文化』によれば、「四文二合半(しんもんこなから)」という言葉が「居酒屋で最下等の安酒をオーダーするときの常套句」(同書P.211より引用)だったとのこと。これは「1合四文のお酒を二合半くれ」という意味ですが、同書によれば「(前略)1文が13円位になる。すると四文酒は50円位で飲めたことになる。(後略)」(同書P.214より引用)。1合52円、2合半で「130円」ですから、なるほど激安です!

居酒屋は江戸時代から庶民の憩いの場所として愛され、現在にまでつながっているのです。江戸時代にはお上による規制もありましたが、それを幾度もはね返して庶民に支持され続けたのです。より詳細に江戸時代の居酒屋について知りたい人は、飯野亮一先生の『居酒屋の誕生 江戸の呑みだおれ文化』(ちくま学芸文庫)をぜひ一読ください!

⇒データ出典:『居酒屋の誕生 江戸の呑みだおれ文化』飯野亮一
http://urx.blue/qdAM

(高橋モータース@dcp)

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