実際はやりたい放題! 水戸黄門はド級の「アナーキー」だったってほんと? (2/2ページ)

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そしてこの毛皮を送り付けたという行動は、生類憐みの令に苦しめられた民衆にとっては、とても痛快なものだったことでしょう。

■歴史にハマり、藩を財政難に陥れる

若いころの光圀はとんでもない不良でした。刀の切れ味を試すために人を斬ってみたり、遊郭(ゆうかく)に入り浸ったり…家康の直孫のくせにこの素行、嘆かわしいことです。

そんな彼の人生を変えたのは、司馬遷(しばせん)の「史記」伯夷・叔斉(はくい・しゅくせい)伝でした。これに大変感銘を受け、光圀は学問を重んじ大日本史の編纂をはじめます。大日本史の編纂は、1657年からはじまり1906年、つまり明治時代に完成します。実に250年という長い歳月をかけ、水戸徳川家の事業として、代々の当主に受け継がれ完成させた大事業でした。

しかし、この事業には大変な資金が必要でした。これにより水戸藩は光圀時代に財政悪化を招き、八公二民……つまり、領民の稼ぎの8割近くを税として藩に徴収されてしまうという、超過酷な重税をかけざるを得ない状況に陥ってしまいました。

水戸藩では、領内の百姓の逃散が相次いだというのもうなづける話です。

光圀の学問振興は、のちに「水戸学」というひとつの考え方を生み出します。これは「明治維新」のいしづえとなる尊王攘夷(そんのうじょうい)運動に大きく影響を与え、徳川に連なる光圀が、倒幕側を鼓舞させるような学問の基礎を生み出してしまうという皮肉な結果となります。

ちなみに隠居後の光圀は、水戸藩にて田畑を耕し、税を収めたという話が残っています。

■まとめ

 ・ドラマの温厚なイメージに反し、本物の水戸黄門は「やりたい放題」のアナーキー

 ・生類憐れみの令を批判するために、犬の毛皮を将軍に送りつけた

 ・学問に力を入れすぎて財政難……税率80%と、とんでもない重税を課していた

(沼田 有希/ガリレオワークス)

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