「我々はテロに怯えない」ジャカルタ市民に学ぶ屈せぬ心 (3/3ページ)

これと同じことをゲリラ組織が行えば、政治家やマスコミから“テロリズム”と呼称される。
此度の事件の実行犯は、モーデルと同じことをやろうとしていたはずだ。だがその目論見は、計画実行当日から外れることになる。

現場写真を見て分かるが、辺りは大勢の野次馬が取り囲んでいる。警官とテロリストとの銃撃戦の時ですら、至近距離に見物人がいたほどだ。
多くのジャカルタ市民は、テロに対して“恐怖”など微塵も覚えていない。“能天気”、というわけでもない。市民の心には「テロリストの無様な最期を見てやろう」という気持ちがある。
「ISは神の名を語る無法者だ。」
ジャカルタのイスラム教徒の九分九厘は、そう考えている。
■ 「怯えないこと」が対抗策
事件翌日、タムリン通り沿いにある大型ショッピングモールは、普段通りの営業を行っていた。
日本大使館の隣りにある『プラザ・インドネシア』は、地上1階部分に高級ブランド店が立ち並ぶ。
しかも、スターバックスコーヒーの店舗まである。次にテロが発生するとしたら、真っ先にここが狙われるだろう。

だが、いつもより多くの警備員がいたとはいえ、特に動揺もなく業務が行われた。テロに怯える市民など、皆無である。
もはやISの計画は叶わぬものになった。そもそもが享楽的なジャカルタ市民の心を、爆弾で支配しようなどという思惑自体が無謀だったのだ。
事件のあとのジャカルタは、確かに変わったかもしれない。だがそれはテロリストが望むような“変化”では決してないということを、筆者はここで強調しなければならない。
まったく新しい形の“非暴力による抵抗”が、この地に芽生えているのだ。