田宮二郎の妻“没後38年目の初激白”(4)「現場で孤立感を深めていった田宮」 (2/2ページ)

アサ芸プラス

「1作目が当たったものだから、それにあやかって何でもタイトルに『白』をつけただけ。撮影が始まってからストーリーを作るようなご都合主義で、内容はどれも似通った筋書きのメロドラマ。必然性に欠ける内容でした」

 幸子夫人は71年に「田宮企画」の代表に就任している。妻として田宮を支えながら、どこか冷静な分析をしていた。やがて、夫人が危惧したように、田宮はドラマにおいても孤立感を深めていく──。

「断りきれずに次のシリーズを引き受け、それで2ケタの視聴率は取ってしまう。だから、現場でもめ事にならないわけがないんです。最善を尽くそうとする田宮は、ストーリー作りにも知恵を絞り、脚本家や演出家の範疇に入っていった。そうなるとカメラマンも含めて、いらぬ恨みを買うことになってしまいます」

 お互いがコリゴリと思っていながら、また新たなシリーズが発表される。責任感の強い田宮の姿勢は、後に「みじめな姿」に追い込まれてしまったと幸子夫人は思った‥‥。

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