【プロ野球】ヒジの靭帯再建手術で知られる“トミー・ジョン投手”の数奇な生涯 (2/2ページ)
■フランク・ジョーブ博士の存在
日常生活にも支障をきたすとも言われた大ケガ。当時のMLBは過投時代でもあり、多くの投手がケガで引退を余儀なくされるケースも多かった。
同じドジャースでは1966年にその年まで5年連続最優秀防御率、2年連続最多勝、2年連続3回目のサイヤング賞を獲得した圧倒的エースのサンディー・コーファックスが左ヒジの痛みを理由にわずか30歳で電撃引退。その際に「野球を辞めた後も続く人生を健康な身体で送りたい」と語ったほどの時代でもあった。
多くのファンはトミー・ジョンもこのまま選手生命を絶ってしまうのだと肩を落としていた。しかし、そこで立ち上がったのが、ドジャースの医療コンサルタントを務めていたフランク・ジョーブ博士。
トミー・ジョンは彼が発案したヒザの不要な靭帯をヒジに再建する手術を受け入れ、一か八かの復活に挑んだ。
過酷なリハビリの末、トミー・ジョンは中1年の1976年に復帰。いきなり10勝を挙げてカムバック賞、ハッチ賞を受賞すると、翌年には20勝。その後も2度、20勝以上を挙げ、ついには46歳になる1989年までプレー。メジャー歴代26位の通算288勝を挙げ、歴代3位の実働26年を達成した。
彼の成功があってこそ、現代でも“トミー・ジョン手術”は存在する。トミー・ジョンは歴史のトビラを開いた大投手だった。
文=落合初春(おちあい・もとはる)
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