世界のHONDAも失敗が99%!「絶望は贈りもの」である理由 (2/3ページ)

Suzie(スージー)

「世界一でなければ日本一じゃない」と、宗一郎が率いるHONDAが世界を目指したのは、日本に不景気の波が押し寄せていた1954年のこと。

たった1台のバイクを輸出しはじめたばかりの段階であったにもかかわらず、世界一のバイクレースとして知られる、イギリスのマン島TT(ツーリスト・トロフィ)レースに出場すると宣言したのです。

このとき、宗一郎は47歳。本田技術研究所として操業して8年目のこと。

世界のトップメーカーが出場するこのレースに優勝することは、世界一のバイクメーカーであることの証明になります。

小さな会社だったHONDAには無茶な挑戦でしたが、宗一郎の頭のなかにあるのは、「世界一こそ日本一」だという考え方。

ただ、TTレースは予想以上にハードルが高く、宗一郎は「これは考えたこともないレベルだ」と弱音を吐いたのだとか。

とはいえ、「できない」「ムリ」「不可能」といわれると、逆にワクワクしてしまう彼に、「あきらめる」という選択肢はなかったといいます。

ところがレース出場までの道は予想以上に険しく、1年目も2年目も、3年目も4年目もダメ。そして5年目にようやくレース出場を果たすことに。

■日本一を目指すなら世界一を目指すべし!

しかし注目すべきは、世界一を目指すその間に、いつの間にかHONDAはバイクの生産台数日本一に輝いていたという事実。

世界一を目指していたら、あっさり日本一になってしまったわけです。

そしてTTレースでも、出場から2年目で優勝を果たすことに。海外のマスコミからは、「東洋の奇跡」と絶賛されたのだそうです。

これこそが夢の力。夢に向かって進むときには、トラブルなどトラブルではなくなるということです。

経営不振だろうが、あらゆる難関は、燃え上がる炎にくべる巻きになるという考え方。

「日本一を目指したいのなら、世界一を目指せばいい」

夢をいつかたどり着きたい最終地点にするのではなく、通過点にしてしまえば、夢は一気に加速するもの。

HONDAのエピソードは、そんなことを教えてくれるのです。

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