ニッポンの“CMシンデレラ”50年の名場面(6)「中島はるみ・キリンレモン(1979年)」 (2/2ページ)

アサ芸プラス

中島 そうなんです、でも1日で急激に焼いたから、皮がめくれるくらい大変なことになりました。

──デビューしたばかりの竹内まりやも、このテーマ曲が初ヒットになりました。対面はしました?

中島 はい、竹内さんのコンサートに、私がステージ上で花束を渡させていただきました。

──6代目のイメージガールが3年半ほど続いて、以降はメディアへの登場が控えめだったように思います。

中島 18歳で本格的なファッションショーの世界に進んだんです。パリコレなども経験して、それまでコンプレックスだった背の高さが、ここでは堂々としていいんだと思いました。

──そして結婚・引退を経て、03年から再びミセスモデルとして第一線に。同時に、2人の娘さんの母親としても忙しい日々を。

中島 娘は2人とも背が高くて、芸能界への興味も少なからずあるみたいです。母親としては反対ですが、私も好きなことをやってきたので、先輩としてならアドバイスできるかなと思います。

──ぜひ、2代目の「レモンライムの青い風」が吹き荒れることを楽しみにしています。

「ニッポンの“CMシンデレラ”50年の名場面(6)「中島はるみ・キリンレモン(1979年)」」のページです。デイリーニュースオンラインは、キリンレモン週刊アサヒ芸能 2016年 2/18号中島はるみ竹内まりやエンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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