天才テリー伊藤対談「内山信二」(1)月収3000万の時もありましたね (2/3ページ)

アサ芸プラス

「有吉(弘行)さん、坂上忍さん、ヒロミさんに続く再ブレイクタレント」と言っていただいて、今ものすごいプレッシャーを感じてます(苦笑)。

テリー スゴいじゃん! 何がきっかけだったの?

内山 昨年、「しくじり先生」という番組で、初めて過去の話をいろいろとさせていただいたんですよ。例えば「月収が最高3000万だった」とか。

テリー うっひゃー! それ、いくつの時?

内山 10歳ですね。

テリー 小4か(笑)。

内山 でも、それがマックスですから。当時CMに13本以上出てたんですけど、そのギャラがドンと入った月なんですよ。だから、その時以外は、もっと少ない月もありました。

テリー とはいったって、その年の年収は1億を超えるよね。何で当時稼いだ金額を知ってるの?

内山 当時所属していた事務所が、現金手渡しだったんですよ(笑)。受け取りの際に、僕がお金を数えてサインしないといけなかったので、だいたいの金額は把握していました。

テリー 同級生の小遣いがせいぜい月500円とかの時に、億の金額を稼いでたって、どんな気持ち?

内山 正直「世の中チョロいなぁ」と思ってました。

テリー ハハハ、世の中舐めきっちゃうよね。「この貧乏人どもが!」って。

内山 さすがにそこまでは思いませんけど(笑)、年末とかにその年のボーナスの平均額がニュースで出るじゃないですか。そういうのを見て「ああ、世間の大人はあんまり稼いでないんだな」と。

テリー 同級生には「俺は3000万稼いでるんだ」って言ってたの?

内山 言わないですね。お金のことを知ってるのはお父さんぐらい。

「天才テリー伊藤対談「内山信二」(1)月収3000万の時もありましたね」のページです。デイリーニュースオンラインは、あっぱれさんま大先生週刊アサヒ芸能 2016年 2/25号内山信二しくじり先生テリー伊藤エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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