浮浪者と間違えられ電車にはねられるも放置される。サグラダ・ファミリアの建築家として知られるアントニ・ガウディの切ないエピソード (2/3ページ)
サグラダ・ファミリアの仕事場に寝泊まりし、1914年にはほかの仕事は皆、断ってしまい、取材も一切受けつけなくなった。身のまわりを清潔にしなくなり、髭も剃らなければ、服もボロばかりで、ますますみすぼらしくなっていった。

出典: karapaia
1926年6月7日、いつもの告解に歩いて向かう途中で、ガウディはグラン・ビア・デ・レス・コルツ・カタラネス沿いの路面電車に轢かれた。73歳で、髪もボサボサのひどい風貌、さらに身分証明書を持っていなかったこともあって、浮浪者とだと思われ、病院への搬送が後回しにされてしまった。
事故の報を受けて近くに住む医者がかけつけたときには、手の施しようがなかったという。やっと、病院に運ばれても、貧者とみなされて、最低限の治療しかしてもらえなかった。

出典: karapaia
翌日になってやっと、サグラダ・ファミリアの司祭が、この浮浪者のような負傷者が有名な建築家であることに気づいたが、時すでに遅しだった。二日後の1926年6月10日、ガウディは息をひきとった。バルセロナ市民はガウディの死を悼み、その神がかった業績を褒めたたえた。葬列は市内をねり進むほどの壮大なものになり、遺体は、結局未完で終わった巨大なサグラダ・ファミリアの地下に安置された。