浮浪者と間違えられ電車にはねられるも放置される。サグラダ・ファミリアの建築家として知られるアントニ・ガウディの切ないエピソード
サグラダ・ファミリアを手掛けた建築家として知られるアントニ・ガウディ(1852年 - 1926年)は、カタルーニャモダニズムの先駆者であり、その作品群は、1984年ユネスコの世界遺産に登録されているほどの人物である。 そんな彼だが、かなりせつない晩年を送っていたそうだ。親しい友人や親戚に先立たれ、外見を気にせず仕事に没頭するがあまり浮浪者に間違えられ、路面電車にひかれるも搬送が後回しになってしまい、手の施しようがなくあの世へと旅立っていったのだ。 記事提供=カラパイア
ガーマカトリックウディは、高く天までそびえたつ大胆で鮮やかなデザインの建築で有名になり、一目置かれ、裕福になった。1883年、ガウディはバルセロナに、ロの巨大な聖堂サグラダ・ファミリアを建築し始めた。ガウディといえばサグラダ・ファミリアというくらいの彼の傑作だ。
ガウディは、この教会を"神の建築"と名づけ、その建設を神の栄光を称えるための仕事と公言した。彼は生涯未婚で、子どももいなかったが、その代わり、建築の仕事とカトリック信仰に揺るぎない姿勢で身を捧げた。
出典: karapaia
年をとるにつれ、ますます信心深くなり、熱心にミサに出席して毎日祈りを捧げた。極端な断食を行い、肉類やアルコールは避け、ランチにはミルクに浸したレタスしか食べなかった。
1910年代始めに、近しい友人、親戚、共同制作者、パトロンたちが亡くなると、ますます仕事にのめりこむようになった。サグラダ・ファミリアの仕事場に寝泊まりし、1914年にはほかの仕事は皆、断ってしまい、取材も一切受けつけなくなった。身のまわりを清潔にしなくなり、髭も剃らなければ、服もボロばかりで、ますますみすぼらしくなっていった。
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1926年6月7日、いつもの告解に歩いて向かう途中で、ガウディはグラン・ビア・デ・レス・コルツ・カタラネス沿いの路面電車に轢かれた。73歳で、髪もボサボサのひどい風貌、さらに身分証明書を持っていなかったこともあって、浮浪者とだと思われ、病院への搬送が後回しにされてしまった。
事故の報を受けて近くに住む医者がかけつけたときには、手の施しようがなかったという。やっと、病院に運ばれても、貧者とみなされて、最低限の治療しかしてもらえなかった。
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翌日になってやっと、サグラダ・ファミリアの司祭が、この浮浪者のような負傷者が有名な建築家であることに気づいたが、時すでに遅しだった。二日後の1926年6月10日、ガウディは息をひきとった。バルセロナ市民はガウディの死を悼み、その神がかった業績を褒めたたえた。葬列は市内をねり進むほどの壮大なものになり、遺体は、結局未完で終わった巨大なサグラダ・ファミリアの地下に安置された。
現在も、この聖域を完成させるための建築工事は続いている。完成は偉大な建築家の没後100年記念に当たる2026年に間に合わせる予定だ。
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via:mentalfloss・translated konohazuku /edited by parumo
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