実は怖いイベントだった!? 「ひな祭り」は女の子の祭りじゃないってほんと?

学生の窓口

3月といえば「ひな祭り」。上品で豪華なイメージに反し、じつはちょっと怖いイベントなのはご存じでしょうか?

ひな祭りのルーツは宮中でおこなわれていた「上巳(じょうみ)の祓(はら)い」で、水辺で「けがれ」を払う行事。現在のように華やかなイベントになったのは江戸時代になってからのことです。本来の「ひな人形」は「けがれ」を移すための道具で、その後は水に流されてしまう切ない「身代わり」……お人形遊びと「おはらい」が合体した、ちょっとブキミなお祭りだったのです。

■「おはらい」だった元祖・ひな祭り

ひな祭りは3世紀ごろに始まったとされ、本来は、節分の豆まき同様に邪気をはらうための行事でした。このころの日本では、季節の変わりめには邪気が入りやすいと信じられ、3月もおはらいをするべき月のひとつ。そこで最初の巳(み)の日に水辺で「けがれ」を落とす行事「上巳の祓い」がおこなわれていました。現在は女の子向けと定義されていますが、元祖・ひな祭りは性別に関係ないどころか、お祭りでもなかったのです。

平安時代になると「おはらい」から一変、お祭りらしい行事となりました。宮中行事として「曲水(きょくすい)の宴(うたげ)」や川や海に人形を流す「流し雛(びな)」へと発展、「水」つながりしか残らなかったのです。

曲水の宴とは、川に盃(さかづき)を流し、自分の前を通過するまでに歌を詠む行事で、知識や技量が必要なのは理解できますが、これで「おはらい」できるのか??? ですね。これは遣唐使によって日本に伝えられたといわれ、時代とともに「お祭り」色が強くなった様子がうかがえます。

流し雛は、

 ・自分の「けがれ」を人形に移す
 ・その人形を「水に流す」

と、自分でおこなうべき「みそぎ」を人形に代行させる行事で、合理的といえばその通りですが、「人形」はまさに「身代わり」。かなりカワイそうな存在だったのです。

■「ひな壇」は金持ちの証拠?

「ひな人形」の「ひな」は、鳥の意味ではありません。平安貴族の遊びからつけられた名前なのです。

平安時代には、貴族の子供が人形遊びをする習慣があり、人形を「ひいな」、遊びは「ひいな遊び」と呼ばれていました。やがて「ひいな」は「ひな」に短縮されましたが、どちらも意味は「ちいさい」「かわいらしい」ものを指すので、いま風にいえば「おままごと人形」の意味。そんな背景から女の子の行事として定着しましたが、ひな人形は、

 ・けがれを払う「身代わり」
 ・おままごとの道具

がゴッチャになっているのですから、飾ると縁起が良い? 悪い? と、ちょっとブキミですね。

現在のような「ひな壇」になったのは江戸時代で、最初は「内裏(だいり)雛」だけの一段だったのに、段数が多い=金持ち=スゴいでしょ! に発展し、3段や7段と増えていきました。あまりのエスカレートぶりに幕府が「ぜいたく禁止令」を出すハメに……。マイナス要素である邪気をはらう行事が、いつのまにか「見栄」のイベントへと変化、ほぼ原型をとどめなくなったのです。

現在のように3月3日に固定されたのも巳(み)が三(み)に通じるからとも言われ、日付もオリジナルではありません。もともと女の子向けでもなければ「おはらい」の要素も消滅、貴族の遊びと混ざって金持ちぶりのアピールでは、もはや何のための行事かわかりませんね。「本当のお人形は、身代わりとして水に流されちゃうんだよ」なんて話をしたら、ちびっ子のトラウマになってしまうかも知れませんから、おとなだけにとどめておきましょう。

■まとめ

 ・ひな祭りの原型は、邪気をはらう「おはらい」だった
 ・人形は自分の「けがれ」を移す「身代わり」……水に流される運命
 ・「ひな」は小さい、ひな人形は「おままごと」人形の意味
 ・本来は「3日」も「女の子」も無関係。正体不明のイベントになってしまった

(関口 寿/ガリレオワークス)

「実は怖いイベントだった!? 「ひな祭り」は女の子の祭りじゃないってほんと?」のページです。デイリーニュースオンラインは、行事豆知識風習雑学季節カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る