【五年目の3.11】それぞれの道を踏み出した福島第一原発作業員 (2/2ページ)

東京ブレイキングニュース

「福島第一原発事故では直接亡くなった方は一人もいない」。かつて、そう言った有識者がいたと記憶している。

 が、とんでもない。直接は亡くなってはいないかも知れないが、前述のように作業員の祖父が避難所でストレスであろう原因で亡くなったり、また復旧作業中の作業員が熱中症で亡くなっている。

 福島第一原発で事故に遭い、その後約数週間原発内で復旧作業に携わっていたいわゆる「フクシマ50」と呼ばれている人間のうちの一人に話を聞けた。許可は出ていないので、あえて曖昧に書くが彼は復旧作業に向かう途中、爆発に遭い、瓦礫が飛んできてあやうく当たりそうになった。もし直撃していたら大けがを負ったか、最悪「死」を覚悟した。つまり「直接亡くなった方」も出ていたのかもしれなかった状況なのだ。

 僕が取材した、作業員たちは皆若かった。「地震が起きた時、僕は建屋の中にいたのですが、真っ暗になり『どこかで観た映画のようだった。ああ、俺はこうして死ぬんだな』と思いました」と言った青年はまだ20代前半だった。彼も原発の街で生まれ、そのまま原発で働く事になった。その後、除染作業に加わり、それから街を出て今度は飲食店を開きたいと、全く原発とは別の仕事を始めている。

 他の作業員たちの中では、連絡が取れなくなった人間もいる。若いので親が原発内で働く事を心配して、親元に戻ったりした。しかし、未だに原発内で働く人間もいる。「夏場は地獄」と表現された防護服を着なくてもよい、状況にはなった。

 が、彼らの生まれた街はいまだに、人が住めない地域がある。僕はその街の彼の家に連れて行って貰ったのだが、ラジオをあえてつけっぱなしにして、誰かが住んでいるかのような状況を作っていた。家は崩壊し、人が住める状況ではなかった。「もう住めないですね」と呟く。五年前は「故郷なんか何とも思っていなかったけど、一時帰宅が許された時、普段見ていた神社、街。誰もいないのを見て何か涙があふれてきたんですよね」と言っていた。が、現在は別の街への居住を考えているらしいと昨年あたり言っていた記憶がある。

 原発がある限り、そこで働き、そこで放射線を「食い」ながら生活をしている人たちがいる。五年経った現在、彼らもそれぞれ、色々な道を模索している。けれど、まだ原発で働いている人間もいる。忘れてはならない。

Written Photo by 久田将義(東京ブレイキングニュース編集長)

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