40歳で迷いがなくなる!知れば人生観が変わる「孔子」の生き方 (2/2ページ)
■孔子は15歳で学問を究めることを決意
「吾れ十有五にして学に志す。(為政第二—四)」
いまさらいうまでもないことかもしれませんが、これは「私は15歳で学に志した」という意味。ちなみに「学に志す」とは、「これをしっかり勉強して、世の中に貢献しよう」と思って志を立てるということ。
15歳で学問を究めることを決めたとは、ずいぶん早い決心のようにも思えます。が、それはともかく、「志す」、すなわち、なにかをやろうと思い立つということは非常に大事だと著者もいいます。
なお、この言葉にはさらに有名な続きがあります。
「三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(みみしたが)う。七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず」
これは、「30歳になり自分の考えをしっかりとさせ、世に訴えることができるようになった。40歳になり迷うことがなくなった。
50歳になり天命を知った。60歳になり他の人のいうことにも耳を傾けて、素直でいられるようになった。
70歳にして心の欲するままに行動するようになったけれども、ルールを踏み外すようなことはしない」ということ。
■「学問を志して迷わない」という気持ち
15歳から70歳まで一気に、しかも、これほどシンプルな言葉で自分の人生を要約してしまう。その要約力自体が素晴らしいと評する著者の意見には、大きく共感できます。
しかし、それ以上に重要なのは、「学問を志して迷わない」という強い気持ちがその中心にあること。
いまの日本においても40歳を「不惑」といいますが、それも『論語』からきているもの。
たとえば「不惑の歳になったのに、まだ迷っている」などと使ったりします。
昔は『論語』が常識だったので、「不惑」といえば『論語』に基づいていると誰もが知っていたわけです。そこで、その言葉を日常生活に活かし、適切な場面で引用していたのです。
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そう考えれば、いま『論語』を確認する場は学校の漢文の授業くらいしかないかもしれません。
しかし、そこにある言葉に時代を超えた普遍性があることが事実。だからこそ本書を通じて、いまふたたび『論語』のメッセージを再確認してみるのもいいかもしれません。
(文/書評家・印南敦史)
【参考】