静かな緑の森に残る悲しきベルリンの歴史が詰まった場所。グルーネヴァルト駅・17番線プラットフォーム (3/4ページ)
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この駅が始発駅となったその証拠として、敷き詰められた鋼鉄製のプレートには強制収容所へ向かって列車が出発した日付と輸送された人数、そして行き先が刻まれています。
プレートの数は全部で183枚で、そのほとんどにLODZ(ウッチ)もしくはTHERESIENSTADT(テレージエンシュタット)と刻まれています。
LODZ(ウッチ)は当時ナチス・ドイツの占領後リッツマンシュタット(Litzmannstadt)」と改称された街である現在のポーランドの都市Łódź(ウッチ)を指し、もう1つのTHERESIENSTADT(テレージエンシュタット)は当時の強制収容所の中継地であったチェコ北部の小さな街、テレジーンを指しています。
そして今でもこの地にはこの場所から旅立った人に向けて花がたむけられています。