遅すぎた不妊治療、繰り返す流産…夫婦が忘れてはいけないことは?<連載第4回> (2/2ページ)
そしてそんなとき、男はあまりにも無力だ。
妊娠反応なしという結果に終わったある週末、僕は妻に「公園に行こう」と誘った。その公園には大きな池があり、ボートに乗れる。天気もいいし、ボートを一生懸命こいだら気分も少し晴れるだろう。そんな思いから提案したのだった。
しかし妻は、布団から出る気配を見せず、焦れた僕は「ねえ早く起きてよ!早くしないと陽が落ちちゃうよ!」と声を荒げた。すると、普段怒鳴ることなどしない妻がこちらをにらみつけ、こう叫んだのだった。
「ボートなんか乗りたくない!公園に行ったら小さな子どもばっかりじゃん!幸せそうな親子連れとか……そんなのアタシ、見たくない!」
そう言うと再び布団のなかに入り、小さな声でこう言った。
「ひとりで行ってきて」
僕は寂しく、その公園に向かって自転車を走らせた。
■辛い治療をやり抜くために夫が忘れてはいけないこと
「よかれと思って提案したことが彼女を傷つけてしまったんだ……」と先ほどのやり取りを後悔した。公園にはやはり、ボート遊びにはしゃぐたくさんの親子連れがおり、その姿は、僕の瞳に収めるにはとても心苦しいほど光り輝いていた。
公園からの帰り道、花屋に寄り、妻が好きな黄色の花が目に入り買った。少し緊張しながら家のドアを開けて「ただいまー」と言うと、僕の声に反応し、リビングからパタパタパタ……という軽やかなスリッパの音が聞こえた。
「おかえりー」とやってきた妻は、数時間で心を落ち着かせたのか、いつもの笑顔を携えていた。「うわ、黄色い花だー。買ってきてくれたの?ありがとう」。こちらこそ、ありがとう。と心の中でつぶやいた。
見当違いなやさしさしか投げることしかできなかった僕に、それでも「ありがとう」と言ってくれた妻。寛容と感謝、この両輪がなければ厳しい治療をやり抜くことはできない。
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【著者略歴】
※ 村橋ゴロー・・・72年、東京都出身。大学生のときライターデビュー。以降、男性誌から女性誌、学年誌など幅広い分野で活躍。千原ジュニア、田村淳、タカアンドトシ、次長課長、高橋克典など多くの芸人、俳優陣の連載構成を手掛ける。3年に及ぶ、自身の不妊治療奮闘記をまとめた著作『俺たち妊活部』(主婦の友社刊)が好評を博す。また主な構成/著作に、『すなわち、便所は宇宙である』シリーズ(千原ジュニア著・扶桑社刊)、累計200万部突破した『GO!GO!バカ画像シリーズ』、『裏モテの秘策』(ともにKKベストセラーズ刊)などがある。結婚以来11年間、炊事・洗濯・掃除をこなす兼業主夫でもある。