「自分ができることに対して120%以上を注ぐ」日本代表GK・川島永嗣インタビュー (1/2ページ)

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「自分ができることに対して120%以上を注ぐ」日本代表GK・川島永嗣インタビュー

サッカー・ダンディー・ユナイテッド所属のGK川島永嗣選手が日本代表に復帰ーーそんな大きなニュースが日本のサッカーファンたちの耳に飛び込んだ2016年3月17日。奇しくも我々取材チームは、彼がいるスコットランド、ダンディーの地にたどり着いていた。目的はもちろん川島選手への取材だ。

川島選手といえば様々な言語を習得し、現地の言葉でのインタビューにさらりと答える様子が話題になることもある人物。話せる言語は、英語、イタリア語、フランス語。それに加えて、スペイン語、ポルトガル語、オランダ語なども「多少は使える」というのだから驚きだ。

また、じつは川島選手は、スポーツ×語学に関する様々なプロジェクトを展開している「グローバルアスリートプロジェクト」の発起人の一人でもある。この度、DMM英会話と「グローバルアスリートプロジェクト」がタッグを組んだことをきっかけに、インタビューが実現したのだ。

■日本のなかにあることだけが正解じゃない

各国で活躍してきた川島選手だが、初めて本格的に海外でプレイしたのは、大宮アルディージャ在籍時に行った1ヶ月間のイタリア留学でのこと。話を聞くと、意外にもそのときは留学が嫌だったのだという。

「正直最初は行きたくなかったんですよ(笑)。もう本当に急に言われて、僕はやっぱり試合に出たいという気持ちがすごい強かったので、なんで留学して飛ばされなきゃいけないのかという気持ちだったんですよね。だから『ちょっと考えさせてください』って一度は言ったんですけど、結局、せっかくのチャンスだから行ってこようかなと考え直して行きました。」

しかし実際に行ってみると、嫌だった気持ちは薄れていった。そこで気づいたこともある。

「もちろん言葉も違いますし、それまでは日本で生まれて育ってるんで、日本のなかにあるものがすべて正解だと思っていたんですよね。それがイタリアに行った時に、サッカーだけではなく普段の生活のなかでも『あ、日本のなかにあることだけが正解じゃないんだな』と気づかされました。自分の進む道についても、やっぱりひとつのことや、やり方に凝りかたまらなくていいんだと。それから、いろんな人とコミュニケーションを取ることで、今までの自分にない価値観や考え方に触れられるんじゃないのかなと感じた時間だったのかなと思います。」

帰るときには、自分自身に大きな成長を感じることができていた。その時点で「海外でゴールキーパーをやりたい」という気持ちが出てきていたのだそうだ。

その後も、日本での選手生活を続けながら、海外でゴールキーパーになる方法を探っていたという川島選手。しかしそれは簡単には実現しなかった。そんななか、名古屋グランパスへの移籍を決めたのが2004年のことである。そのときすでに、名古屋グランパスには日本代表のGK楢崎正剛選手が在籍していた。試合に出られないかもしれない。もちろん、その考えがなかったわけではない。しかし、敢えて川島選手はその道を選んだ。

「どのレベルまで行ければ海外でやれるキーパーになれるのかわからなかったんです。でもやっぱり自分が日本人なので、海外に出る意味でも、日本のトップのレベルが分からなければいけないと。当時20歳くらいで若かったんで、試合に出るだけじゃなくて、自分が一人のゴールキーパーとして、サッカー選手としてどういうベースを築くのかが一番大切なんじゃないのかと考えていたんですね。そうは言っても試合に出られなくてすごいつらい時期ではありましたけど、同時に多くを学べた時期でもあったのかなと。」

チームメイトとの食事はレッスン

その3年後となる2007年、川島選手は川崎フロンターレに移籍。その翌年には日本代表にも選ばれる。そして2010年、川島選手は27歳でついにJリーグから海外に舞台を移し、戦い始めた。その時の心境を彼はこう語る。

「ここで海外に行かなかったら、もう一生行けないんだろうなと思ったわけです。30歳を過ぎた日本人のキーパーを海外のクラブが取るかといったら取らないと思うし、自分の年齢的にもヨーロッパで経験をつむなら最後だと思ったんです。これから先、日本でプレイを続けて『海外に行きたいんだ』とか『昔イタリアに留学に行ったんだ』ということを言い続けるだけになるのか、それとも本気で、全部捨てでも行くのかと考えたら、全てを捨ててでも海外で日本人のゴールキーパーとしてやりたいと思って。今考えるとだいぶ無茶なことしたなと思います(笑)。」

川島選手が移籍したのは、ベルギーのリールセSK。彼はのちにそこで主将にも任命される。日本とは違う、海外だからこその苦労はあったのだろうか。

「日本とではサッカー文化が違うんです。キーパーに求められるものが全然違うんですよね。最初の頃は、違うサッカー文化を受け入れることがまず大変でした。今まで自分がやってたサッカーの感覚でピッチの上に立ってると、想像以上の衝突が起こったりするんです。自分ではこれが当たり前だと思ってることが当たり前じゃなく起こったりするわけです。だから今まで自分がやってた感覚と違う感覚でやらなきゃいけない。それは今まで自分が正しいと思ってやってきた感覚だから、そこになれるのに気持ち的に、だいぶ。強がって『すぐ慣れた』と言ってましたけど、振り返ってみれば本当に慣れるまでは半年くらいかかってたんじゃないかなと思います。」

当時、チームには15国籍ほどの選手が所属していたという。チーム内の公用語は英語。そのなかで、キーパーとして的確に指示を出していかなくてはいけない。

「例えば、味方に”Right shoulder!”と指示を出さなければいけないのに、頭のなかでは最初は 『右!』と出てくるわけです。でもその一瞬がもう命取りで。日常会話をしゃべれても、実際にピッチの上で一瞬で指示を出すとか、ハーフタイムに味方とコミュニケーションを取るとき、どう説明するかとか、どう相手の話を聞くかという部分はけっこう大変でしたね。」

その克服法は、身近なところにあった。

「最初の頃は毎日が英語トレーニングみたいな感じでした。朝勉強して、練習に行って、午後はチームメイトとお茶とかランチをしに行って実際に英語を使ってみて……とか。チームメイトと食事に行くのをレッスンだと思って(笑)。」

そうすることで、多くの時間を英語学習にあてることができた。川島選手のようになんでも「学び」に変えていく積極的な姿勢が、語学学習には重要なのかもしれない。

今まで見えてないものが見えた感覚

ところで、スタンダール・リエージュを退団してからの約半年間、無所属期間があったことは記憶に新しい。なかなかクラブが決まらない中でも、日本に帰国せず、あくまで海外をフィールドに見据えていた理由とはどのようなものだったのだろうか。

「イングランドのレスターで練習させてもらったのが自分のなかでは大きかったんです。練習のなかで飛んでくるボールがベルギーのとき以上に強かったりとか、そういうのを実際に練習のなかで感じさせてもらって、今まで見えてないものが見えた感覚があったので。もう一回チャレンジできるんじゃないのかなと思ったんです。年齢も重ねてきているのでヨーロッパで得た経験を、また違うヨーロッパのクラブでもう一回挑戦できるというか、その経験から今度は何ができるのかというのを含めて、トライできるのかなというのはあります。」

現在ダンディー・ユナイテッドに所属する川島選手だが、当初はスコティッシュ・イングリッシュに苦戦もしたのだという。

「最初ダンディーについて駅からタクシーで来たんですけど、タクシーの運転手さんが言ってることなんにもわかんなかったですもん。ハンバーガー頼んだときも、ウェイトレスが『バーガー』じゃなくて『バルガル』って。でもこの前、イングランドの試合のハイライトの、試合終わった後に監督とかがコメントするシーンを観てたんですね。そうしたら、ひとりの監督がしゃべってるの聞いて『あ、この人絶対スコットランド人だ』と思って。調べたら本当にスコットランドの人でした。やばい、スコティッシュ英語がわかるように(笑)」

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