天才テリー伊藤対談「中田喜子」(1)実家は祖父の発明のおかげで成金に (2/3ページ)
でも、「親をとても助ける子供が生まれてくる」って父がどこかで聞いてきたそうで、だから「喜子」って名前を付けてくれたんです。
テリー なるほど。しかし、上にお姉さんが4人もいると、洋服とかってお下がりが回ってくるんじゃないですか?
中田 普通はそうですよね。でも、お古って5人目まではもたないんですよ。
テリー そうか、4人も回ってたらボロボロになっちゃうね。
中田 だから、私はいつも新品の服。すぐ上のお姉さんは、いつもひがんでましたね(笑)。
テリー 日本経済が上向いていた時代とはいえ、当時はまだ貧乏な家が多かったし、子供の頃はなかなか服なんて買ってもらえなかったけどね。
中田 ところが、うちは成金組なんですよ。なんでも、畳の上にお札を敷いていたそうですよ(笑)。
テリー えっ、うちなんかずっと貧乏だったよ! 何かで大儲けしたんですか。
中田 おじいさんが、さつま揚げを電気で焼いて作る機械を発明したんですよ。さつま揚げって、普通は油で揚げるんですけど、戦後間もない頃に油が手に入らない時があったみたいで、その機械がすごく売れたらしいです。
テリー すごいな、成金って言いますけど、どんな生活をされていたんですか?
中田 木造3階建の家に住んで、お手伝いさんが何人もいました。2階には大広間があって、そこで親族が結婚式をしたそうです。
テリー じゃあ、「蝶よ花よ」と育てられたんだ。
中田 私が生まれた頃には、そろそろ傾いてきた感じだったんですけど、姉たちの時はほんとに裕福だったみたいですね。特に、のちに宝塚(歌劇団)に入ることになる姉は、とにかく宝塚に夢中でよく通ってました。