金正恩氏が党大会に隠していた「血と恐怖」のシナリオ (1/2ページ)
北朝鮮の歴史に、「8月宗派事件」として知られる出来事がある。事件は、今から50年前の1956年8月30日から31日にかけて行われた朝鮮労働党中央委員会全員会議で幕を開けた。
この席上、抗日パルチザン出身勢力を率いて独裁権力を手中にしつつあった金日成氏――金正恩党委員長の祖父――は、ライバルである延安(中国)派とソ連派の党幹部たちから深刻な政治的挑戦を受けた。彼らは金日成個人崇拝や、重工業偏重の政策が国民の生活を苦しめている点について鋭く批判したのだ。
最終的に、ライバルたちは敗北し、国外逃亡の末に客死。国に残された妻と幼い子供たちは金日成氏により処刑された。しかし彼にとっても、中国とソ連からの介入をかわしながら手にした、薄氷の上での「勝利」だった。
相次ぐ処刑こうした事件は、金正日氏の登場後も繰り返されている。北朝鮮は、小国である。独裁者は絶対的な権力を握りながらも、外部からの圧力に敏感にならざるを得ない。もし、体制内に周辺大国と結託した「獅子身中の虫」がいれば、内側から権力を横取りされる恐れもある。
小国の独裁権力は、何もせずに維持できるものではないのだ。
父の死を受け、帝王学すらろくに学ばず権力を受け継いだ正恩氏が、そのことに不安を覚えなかったはずはない。カリスマに溢れていた祖父ですら、ライバルからの挑戦を全力で叩き潰さねばならなかったのだ。
そこで金正恩氏は、祖父から続く悪しき粛清政治で体制固めをはかる。まず、実質的なナンバー2である叔父・張成沢(チャン・ソンテク)氏を反逆罪で処刑。金正恩体制は張氏の後見の下、集団指導体制になると分析していた北朝鮮専門家たち(そしておそらくは国内の有力幹部たちも)は衝撃を受けた。
これを機に、張氏と親密と見られていた中国共産党指導部と、金正恩氏の関係は険悪化していく。それどころか金正恩氏は、核開発とからんで中国を罠にかけようとさえする。
続いて、軍首脳の玄永哲人民武力部長(国防大臣)らが正恩氏の刃にかかる。玄氏はまるで見世物のように虐殺されたとされるが、処刑の理由はいまひとつ定かではない。単に、会議中の居眠りが発端だったという説すらある。
高位級幹部だけではない。