【プロ野球】日本ハム最後の20勝投手”工藤幹夫伝説”を振り返る (2/2ページ)

デイリーニュースオンライン

■1982年の工藤幹夫と落合博満

 大沢監督の奇襲作戦は、「プレーオフ敗退」という形で失敗。それだけでなく、工藤氏のその後の野球人生をも狂わせてしまう。骨折が治り切らないうちに投げたことで骨が変形。その結果、投球フォームのバランスを崩し、右肩を故障するという悪循環を招いてしまったのだ。

 1983年は8勝したものの、それ以降は右肩の故障が響き、投手の道を断念。野手転向を目指したが、1軍出場は叶わず、1988年限りで現役を引退。地元に戻ってスポーツ用品店を経営する傍ら、社会人野球チーム「由利本荘ベースボールクラブ(BC)」の指導にあたっていた。そして、今回の訃報となってしまったわけだ。

 さて、話を1982年に戻そう。実はこの年、もうひとりの秋田県出身者が球界で大記録を達成している。その人物こそ、三冠王を達成した落合博満(当時ロッテ)だ。そのため、同じ秋田出身者としても落合の方が目立つ形となり、結果的に工藤氏の20勝がいまひとつ目立たないものとなってしまった。

 ちなみに、1982年の工藤氏以降、日本ハムでは20勝投手は現れていない。つまり、次に日本ハムで20勝投手が生まれれば、必然的に工藤氏の名前にスポットライトが当たることを意味している。

 その20勝投手の誕生がいつなのか、大谷翔平なのか有原航平なのか、それとも違う投手なのかはわからない。だが、ぜひとも、工藤氏の名前と偉業が今一度掘り起こされる日が来ることを期待したい。

文=オグマナオト(おぐま・なおと)

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