【幻の兵器】遠距離戦略偵察機が航続能力を活かして高々度重爆撃機へ仕様変更された「キ七四」。しかし現実に完成したのは… (2/3ページ)
とはいえ、キ七四が最初に要求された5000キロの行動半径をもってすれば、満州里を起点としてノボロシースクからオムスク、果てはウラル山脈に至るまでの広大な地域を偵察することが可能となり、軍事情報の収集という点においては日本が大きな優位を占めることとなるのだ。
また1940年3月には同じ立川でキ七七(A26長距離機)の基礎設計が始まったため、キ七四の設計陣は準備段階で収集した資料を提供するなどして開発に協力したが、反対にキ七七の開発によって得ることができた情報も非常に多かった。いずれにしても、当初は1941年夏に原型初号機を完成させる予定だったのだが、対米開戦が迫ったことから高々度長距離重爆撃機へと開発目的を変更することとなった。結局、計画をほぼ根本的に見直す事となったため、最終的な性能要求案がまとまったのは1942年になってからだった。
新たな要求性能案において、キ七四は長距離飛行性能に加えて高々度性能も要求されたことから、爆撃能力と与圧キャビンを備えることとなった。空気の薄い高々度を飛行する機体には、内部を地上とほぼ同じ大気圧に保って乗員の負担を軽減する与圧キャビンや、エンジンに送り込む大気の濃度を高める排気タービン過給器を装備させないと十分な戦闘力を発揮することができないのだが、そのいずれも当時の日本では実用化困難な先端技術であった。
例えば排気タービン過給器の根幹となる部品には、高圧高温のエンジン排気を受け止める回転羽が存在している。だが、当時の日本にはそのように過酷な環境下で正常に機能する回転羽を制作する技術、特に冶金技術が立ち後れていたほか、与圧キャビンを制作するために必要なゴムのシーリングや開口部のパッキン、圧力差に耐えながらも透明で歪曲の少ない航空機用窓ガラスを製造する技術など、キ七四の制作には困難な技術的問題が数多く立ちはだかっていたのだ。
結局、試作初号機が完成したのは1944年で、初飛行したものの排気タービンの不具合から満足に飛行試験さえできないような有り様だった。その後、排気タービンを改良した四号機をはじめとして、エンジンや与圧キャビンを改良した試作機が次々制作され、最終的には14機が完成している。