【プロ野球】若松、池山、岩村、青木…ヤクルト「背番号1」の系譜 (2/2ページ)
■池山から「サードと背番号1」を受け継いだ岩村明憲
池山から背番号1を受け継いだのが岩村明憲。プロ3年目の1999年に1軍へ定着すると、2000年には池山からサードの定位置を奪取。18本塁打を放ち、注目を集める。
背番号1となってからは、2002年に140試合フル出場。初の3割台となる打率.320をマークした。3番に定着した岩村は、2004年には44本塁打と長打力も備えたバッターへと進化。2005年、2006年は3割、30本塁打の中心打者として君臨するも、2006年オフにポスティングシステムでデビルレイズ(当時)に移籍。チームを去った。
パイレーツ、アスレチックス、楽天を経て2013年にヤクルトへ復帰。空き番号となっていた背番号1はつけず、若手時代の背番号48でプレーした。
■チームから何度も「背番号1」を打診された青木宣親
岩村がチームを離れて3年間、背番号1は再び空き番号となった。2010年に受け継いだのが、当時の中心選手・青木宣親だ。
青木はプロ2年目の2005年にレギュラー定着するとヒットを重ね、1994年のイチロー以来となるシーズン200安打を達成。首位打者を獲得した。
2006年には41盗塁で盗塁王。2007年には打率.346で2度目の首位打者を獲得。好成績を残し続けたことで、チームから背番号1への変更を何度も打診され、2010年に背番号1を背負うこととなった。
背番号1となった年に、青木は209安打、打率.358で3度目の首位打者に。しかし2011年には統一球の影響もあって、レギュラー定着後初めて打率が3割を下回る結果に終わった。そして同年オフにポスティングシステムでブルワーズへと移籍した。
青木と山田の共通点は背番号23から背番号1へとステップアップしたこと。現在、ヤクルトの背番号23は空き番号となっているが、その「出世番号」を今後は誰が背負うのかも見逃せない。
文=武山智史(たけやま・さとし)