田中角栄 日本が酔いしれた親分力(15)金庫番として田中を支える (2/2ページ)
田中は、佐藤昭に全幅の信頼を寄せて任せていた。以後、田中と連絡が取れない時など、昭は独断で資金を渡したりもすることになった。このことが原因で、昭は後に「越山会の女王」と呼ばれることになる。
しかし田中は、ひとつだけ昭に口を酸っぱくして言い聞かせていたことがあった。
「金はもらう時より、渡す時のほうに気をつけろよ。相手に負担のかかるような渡し方をしちゃ、死に金になる。だから、“金をくれてやる”というような態度で渡してはいけないよ」
田中は幼い頃から、父の借金のために苦労させられた。親戚たちに、下げたくもない頭を何度も下げたその悔しさ、つらさを忘れていなかった。そのため、昭には執拗と思えるほどに、金の扱いに対して念入りに釘を刺したのである。
12月27日に行われた総選挙で、自民党は288議席を獲得し、圧勝した。この快挙で田中は、名幹事長の名をほしいままにする。
この総選挙では、小沢一郎、羽田孜、梶山静六、奥田敬和、渡部恒三といった、後に竹下派七奉行と呼ばれることになる議員たちが、初当選を果たした。田中幹事長のもとで当選した彼らは「田中派の初年兵」を自任していた。田中を「オヤジ」、昭を「ママ」と呼んで、しばしば田中事務所に出入りした。
昭もまた、小沢を「イッちゃん」、羽田を「ツトムちゃん」と呼んで、かわいがった。
74年(昭和49年)10月10日、月刊「文藝春秋」11月号が発売された。
昭は、ページをめくって、思わず眼を見開いた。立花隆が田中と小佐野の絡みを中心に書いた「田中角栄研究──その金脈と人脈」と共に、児玉隆也が「淋しき越山会の女王」というタイトルで、佐藤の出生から「女王」と呼ばれるまでの権力ぶりを書きたてていたのである。
総理になる前、早坂と麓が諫言したとおりの結果となったのである。
田中はこの記事をきっかけに総理を退陣することになるが、佐藤昭、小佐野賢治との絆は切ることなく、以後「闇将軍」として、より力を発揮していく‥‥。
作家:大下英治