赤井英和インタビュー 浪速のロッキー挫折からの復活劇(1) (2/2ページ)

週刊実話

3000円のチケット3000枚渡されて、これがファイトマネーだって言われて。当時はチケットの印刷代なんて大してかかってないんです。何だか気持ちが悪くなってやる気がなくなってしまい、引退します、言うて九州の先輩のところへ遊びに行った。そしたら、突然の失踪と大騒ぎになっていた」

 −−スクラップの中にも、その時の記事がありますね。
 「そしたらお世話になっている後援会長に、大勢の応援してくれる人もいるんだし、世界タイトル戦もあるんだから、まだ引退はするなと説得され、1985年の2月5日に大和田(正春)戦に挑んだんです」

 しかし、第7ラウンドKO負けを喫したこの試合で、赤井は生死を彷徨う大けがを負い、引退を余儀なくされてしまった。
 「やる気がなかった試合だからそんな結果になって、大怪我して、死にそうになって、何もかもなくなって、その当時の嫁も実家に帰ってしまい、一気に大ピンチに陥りました。だけど31年経った今思えば、それがチャンスだったんだと思います」

 −−そこからどう立ち直ったのでしょう。
 「何もかもなくなって、実家でスネかじりに逆戻りしてた。そんな時、母校の近畿大学のボクシング部からコーチのお話を頂きました。昼はボクシングコーチで充実していたけど、その後の時間は何もすることがない。目的がなくなってしまったんです。夜は酒ばっかり呑んでました。それでもコーチをした3年間に2回、日本一になって、学生たちと嬉し涙を流しました。その時の後輩たちとはいまだに交流があります。当時、お世話になった名コーチのエディ・タウンゼントが『愛情の一方通行はあり得ない。与えて増え続けるのが唯一愛情である』と言っていたんです。その言葉を実感しました」

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