【プロ野球】阪神・西岡剛は戻れるか?アキレス腱断裂・負傷から復活した男たち (2/2ページ)

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■遠藤一彦(大洋)

 1982年から6年連続2ケタ勝利。うち1983年と1984年は最多勝。1980年代、大洋の絶対的エースとして活躍したのが遠藤一彦だ。

 そんな遠藤が悲劇に襲われたのは、3度目の最多勝をかけて先発した1987年10月3日の巨人戦。打者走者として出塁し、三塁を目指していた際に突然、足を蹴られたような痛みが遅い、ケンケンでようやく三塁ベースに到着。そこから立ち上がることができず、担架で運ばれた。

 診断の結果は「右足アキレス腱不全断裂」。最多勝どころか選手生命の危機となった遠藤。翌1988年に復帰を果たしたが、この年は5勝(12敗)どまり。再手術をして臨んだ1989年も2勝(8敗)。かつての遠藤の姿ではなくなっていた。

 足をかばって思うような投球ができなくなった遠藤に転機が訪れたのが1990年。指揮官が須藤豊に代わり、任された役割がストッパー。6勝21セーブをマークし、大洋の7年ぶり3位に大きく貢献。カムバック賞を受賞した。

■谷沢健一(中日)

 断裂、ではないものの、アキレス腱と戦った男、といえば、中日で活躍した谷沢健一だ。学生時代からアキレス腱痛に悩まされていた谷沢だが、中日に入団した1970年には1年目からレギュラーとして活躍し、新人王を獲得。1976年には打率.355で初の首位打者も獲得した。

 だが、1978年、とうとうアキレス腱の痛みに耐えられなくなり、初の2軍落ち。さまざまな民間療法を試みたが有効な手段はなく、選手生命も危ぶまれた。そんななかで出合ったのが、日本酒を患部に塗ってマッサージするという「酒マッサージ療法」。このマッサージでアキレス腱痛を克服すると、1980年にはレギュラーに復帰し、打率.369で2度目の首位打者のタイトルを獲得、カムバック賞も受賞。1985年には2000本安打も達成した。

 ここで取り上げた4人以外にも、守備中の「交通事故級の衝突」でアキレス腱を断裂しながら、奇跡的な復活を遂げた吉村禎章(元巨人)。若手時代にアキレス腱を断裂してしまい、以降、代打人生を歩むことになった川藤幸三(元阪神)などなど、アキレス腱の痛みや断裂に襲われながら、チームに欠かせない男として復活した事例は多い。

 もちろん、俊足が売りの西岡だけに、復活までの道のりは相当険しいはず。そこを乗り越え、グラウンドで再び少年のような笑顔を振りまいてほしい。

文=オグマナオト

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