歌謡(うた)のマドンナ 市川由紀乃 紅白に最も近い実力派演歌歌手! 「舞台に立つ時は、いつも亡き兄の思いとともに…」 (2/3ページ)
「このまま『つな八』で働いていく人生もありかな、という思いもどこかにあったんですけど、歌手としてやり残したことがある、もう一度歌いたいという気持ちはずっとありました。お世話になっていた音楽業界の方たちが、その後も何かと気に掛けてくれて“本当に歌いたいんだったら、そろそろ動き出さないと”と背中を押してくださいました。そんな皆さんの力添えもあって、復帰することができたんです」
−−'06年10月、再出発の気持ちを込めた曲『海峡出船』で4年半ぶりに復帰した。
「お客さんが私を覚えていてくださったのがうれしかったです。長い間お休みしていたから、見捨てられても仕方ないと思っていたので…。キャンペーンに行く先々で皆さんが“おかえり”“心配してたよ”と声を掛けてくださって、そのたびに号泣していました(笑)」
−−長年、母と兄との3人暮らしで、家族は強い絆で結ばれていた。しかし'08年、兄は39歳でこの世を去る。
「兄には生まれた時から障害があったんですが、いつも優しく私のことを応援してくれて、キャンペーンにもよく母と一緒に見に来ていました。母や兄の喜ぶ顔が見たくて歌っていたと言っても過言ではありません。だから兄が亡くなった時、泣き崩れる母を見て“私はこれから歌を歌っていく意味があるんだろうか?”と真剣に悩みました。でも、歌があったからこそ家族が強くなれたんだし、これからは歌うことで私が母を支えられるんじゃないかと考えるようになりましたね」
−−今も大切に持っている「お守り」があるという。
「兄は“たくさん声が出ますように”とか“緊張しませんように”といった言葉をいつも紙に書いて渡してくれていました。今も、舞台に立つ時はそれを必ず胸元に入れて、兄と一緒にいるつもりで歌っています」
−−表現力を磨きつつ、着実にヒットを重ねてきた彼女。昨年は『命咲かせて』がロングヒットし、紅白初出場濃厚といわれたが、その夢は叶わなかった。
「スタッフの皆さんが一丸となって取り組んでくださいましたし、もしかしたら…という手応えはありました。一部のスポーツ紙には『市川由紀乃、紅白出場内定』という記事が出たんです。その日は親戚からの“おめでとう”の電話が鳴りっぱなし(笑)。結果はダメだったんですけど…。