歌謡(うた)のマドンナ 市川由紀乃 紅白に最も近い実力派演歌歌手! 「舞台に立つ時は、いつも亡き兄の思いとともに…」 (1/3ページ)
−−卓越した歌の表現力に定評のある市川由紀乃。舞台では、演歌界きっての長身に着物が美しく映える。
「幼い頃から、母の影響で演歌や歌謡曲を聴いて育ちました。カラオケ大会に出ると賞品がもらえたりして、家族が喜ぶんです(笑)。歌うことでみんなが笑顔になれるっていいなと、子供心に思っていました」
−−16歳の時、埼玉新聞社主催のカラオケ大会に出場。その際、芸能事務所の社長にスカウトされたのをきっかけに、'93年、17歳でデビューした。
「すぐに華やかなステージに立てると思っていたんですが、ひたすら地道なキャンペーンと、レコード店、放送局、有線放送などへの挨拶まわり。新人は名前と顔を覚えていただくのが大事ですし、このお仕事は一つ一つの積み重ねなんだということを十代の頃から実感しました。当時は歌番組や賞レースが多かったのに、デビューした年は新人賞にも縁がなく、スルーされていました(笑)。同期デビューの子たちが華やかなステージに立っているのがうらやましかったですね」
−−その後、徐々に頭角を現し、オリコン演歌・歌謡ランキングで初登場1位になるなど、若手実力派として注目される存在に。ところが、'02年3月をもって突然活動を休止してしまう。
「それまで何年間も“このままでいいのかな?”と悩みながら歌い続けていたんです。自分が思い描く方向に行きたくても、先が見えない。悩みながら仕事をするのがつらくなってしまって、一度この世界から身を引こうと決めたんです」
−−表舞台から姿を消してしまった彼女。その後、何をしていたのだろうか?
「生活のために、まずはハローワークに通って仕事探し(笑)。新宿にある『天ぷら新宿つな八』でずっとアルバイトをしていました。バイト仲間から前職を聞かれても、何の実績も知名度もないので、歌手をやっていたとは言えなくて“不動産関連の事務職でした”と嘘をついたり(笑)。生まれて初めてのアルバイトで、ワイングラスを割ったり、レジの計算が合わなかったり、いろんなミスをしましたね。でも、仲間に助けてもらいながら、精神的にも強くなれた気がします」
−−その間も、歌への情熱は消えていなかった。