【リオ五輪記念】最速男カール・ルイスはバスケ選手になる予定だった? 54年かけてゴールしたマラソン選手がいた? 知られざる五輪トリビア (2/3ページ)
なお、東京五輪の時に履いていたのは、プーマ社の靴であったが、それ以前に行われた毎日マラソンの際に、彼を表敬訪問をした鬼塚株式会社の社長・鬼塚喜八郎が、日本のコース事情などを鑑みてオニツカ製の靴を提供。オニツカ社はその後もしばらく彼に靴を送り続けたという。
このように、世界的に有名な選手たちにも、隠されたエピソードが隠されているオリンピックだが、彼らほどではないにせよ、その特異なパーソナリティから注目を集めた人物もいる。1912年に開催されたストックホルム五輪の射撃種目で金メダリストとなったオスカー・スパーンはその典型だ。なんと彼は当時64歳。オリンピック史上最高齢の金メダリストとなった。ちなみにその後も彼は活躍を続け、72歳の時に挑んだ1920年のアントワープ五輪においては、射撃ランニング・ディア(単発)で団体銀メダルを獲得。スウェーデンチームの躍進を牽引することとなった。
さらに、こうした珍しい記録ということで言えば、日本における「マラソンの父」と呼ばれる金栗四三のケースも見逃せない。彼は前出の"射撃おじいちゃん"オスカー・スパーンが金メダルを獲得した1912年のストックホルム五輪に、短距離の三島弥彦と共に出場、日本人初のオリンピック選手となったが、レース途中に日射病で倒れるというアクシデントに見舞われる。彼はたまたま近くを通りかかった人によって介抱されて一命をとりとめたものの、気づいた時には既にレースが終了。はからずも「競技中に失踪し行方不明」という扱いになってしまったという。しかし1967年、ストックホルム五輪の開催55周年を記念する式典に招かれた彼は、五輪委員会のはからいで「ゴール」することに。そのタイムたるや54年8ヶ月6日5時間32分20秒3といういうもので、五輪史上"最遅タイム"記録を樹立した。ゴール後のインタビューで彼は、この54年の間に「孫が5人できました」と語っている。そのタイムはもとより、スタートからゴールの間に子供はおろか孫が5人も生まれるという珍現象は、後にも先にもこのケース以外に確認されていない。