ラーメンは昭和33年から!ラーメン・中華そば・支那そばの違い
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ラーメン
全国のラーメンを食べ歩くラーメンミュージシャン、井手隊長です。
ラーメン屋さんに行くといろんなメニュー名があります。一般的な呼び方としては、ラーメン、中華そば、支那そばがあります。
今回はこれらの違いについて考えてみたいと思います。
■ラーメンも中華そばも支那そばも意味は「中国のそば」
新横浜ラーメン博物館のホームページによると、もともと中国の麺料理が発展して日本のラーメンになったわけですが、明治初期のころは「南京そば」と呼ばれていたそうです。
そののち明治中期ごろから「支那そば」という呼び名が出てきて、戦後「支那」という言葉を避けて「中華」が登場します。
「南京」「支那」「中華」は、すべて中国を意味します。意味は同じ、「中国のそば」です。
「ラーメン」は、昔は「柳麺」「老麺」という漢字表記でした。
カタカナの「ラーメン」が一気に普及したのは昭和33年。世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」の誕生によって広まりました。
というわけで基本的には、南京そば → 支那そば → 中華そば → ラーメンという順番で呼び名が変遷していったということになります。
■いまだに「支那そばや中華そば」と呼ぶお店がある理由
地域によってはいまだに「支那そば」や「中華そば」という呼び名を使っているところもあります。それはなぜなのか?
新横浜ラーメン博物館のホームページによると、それはその地域でラーメンが普及した時代によるということです。
和歌山であれば、ラーメン店が増えていったのは昭和20年の後半から30年代にかけて。当時「中華そば」と呼ばれていたので、それが名残として今も続いているそうです。古い呼び名が廃れずに残っているんですね。
「支那そば」と聞いて思い出すお店といえば、ラーメンの鬼・佐野実さんが昭和62年に開業した『支那そばや』。そこで『支那そばや』佐野史華さん(佐野実さんの娘さん)にその店名の由来を伺いました。
「父は開店前にラーメンについて勉強していたころ、自分の作りたいラーメンは昔ながらの中華そば=支那そば。慣れ親しんだ言葉も“ラーメン”より“支那そば”と考えており、そのため屋号を『支那そばや』にしたと本人から聞いております。
ラーメンという言葉が普及した昭和33年だと父は7歳なので、幼少期のイメージで『支那そばや』にしたと考えられます」
地域ごとの名残もありますが、店主が幼少期から親しんできた「支那そば」や「中華そば」をイメージして古い呼び名を使っているお店もあるということですね。
たしかに都内でも、「支那そば」「中華そば」としてノスタルジックなラーメンを提供しているお店が多くあります。
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基本的に「ラーメン」「中華そば」「支那そば」はどれも同じ意味ですが、時代や店主の思いを感じながらメニュー名を眺めてみるのもまたおもしろいですね。
(文/ラーメンミュージシャン・井手隊長)
【参考】