プロレス解体新書 ROUND15 〈花も実もある名勝負〉 “夏の夜の夢”鶴田vsマスカラス (1/2ページ)
昭和プロレスで夏の風物詩といえば“千の顔を持つ男”ミル・マスカラス。その日本でのベストバウトが、1977年8月25日、東京田園コロシアム、ジャンボ鶴田の持つUNヘビー級選手権への挑戦試合だ。
試合直前までの雨を晴らすような熱戦は、当時“プロレス新時代の幕開け”とも称される名勝負となった。
プロレス大賞では年間最高試合にも選ばれた田園コロシアムでの鶴田vsマスカラス、UNヘビー級選手権60分3本勝負。現今のプロレスを見慣れた目には、もしかすると“退屈な試合”と映るのかもしれない。
マスカラスの代名詞とされる跳び技は、30分を超える試合の中でフライング・クロスチョップ5発にドロップキック、そして決着直前にコーナーポスト最上段から、場外の鶴田に向けて放たれたトペ・スイシーダぐらい。
「伝説として語られることも多いこの場外ダイブを、フライング・ボディアタックとする言説も見かけますが、頭からドスンと落っこちるその様子は、やはりトペとする方が正確でしょう」(プロレスライター)
現在の進化した空中戦と比べれば、高さも滞空時間も及ばないが、当時としては実況の倉持隆夫アナが、「人間が空を飛んだ〜!」と絶叫したほどに画期的な技だった。
「そもそもマスカラス以前は、ヘビー級の跳び技といえばドロップキックぐらいのもので、ルチャ・リブレ式の空中戦という概念自体が存在しなかった。それを世に広めた先駆者であるマスカラスを現代の基準で測るのは、ちょっと乱暴ではないでしょうか」(同)
では、この試合がオールドタイマーによる懐メロに過ぎないのかといえば、決してそうではない。
「まず目を見張らされるのが、マスカラスの技の多彩さです。序盤からさまざまなメキシカン・ストレッチを繰り出すのですが、似たような技でも極める部位が異なったり、ジワジワ締め付けるかと思えば一転して激しく揺さぶったりと、一つとして同じものがない。グラウンド主体の攻防でありながら、まったく飽きることがありません」(同)
3本勝負の1本目を奪ったのもやはり、腕と首を極める形の日本初公開となる複合ストレッチ技であった。