【愛のムチ?ただの暴力?】あなたは“体罰”についてどう思いますか…?
家庭や学校内において、私的に罰を科す目的で行われる身体への暴力行為“体罰”。
昔ならば“当たり前”とすらされていた体罰も、今の世の中には許容されていなく、体罰を実施したことで度々問題となった報道もされていますよね。
そんな“体罰”に対して、世間の方々はどんな印象を持っているのでしょうか?
以前、『産経新聞社』と『FNN(フジニュースネットワーク)』が実施した合同世論調査の結果は驚きのものとなっていました。
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“体罰”は愛のムチなのか、ただの暴力か…?
2012年12月、大阪市立桜宮高校でバスケ部の顧問を務めていた男性教諭が生徒に体罰を与え、それが原因で生徒が自殺するという忌まわしい事件があったのを覚えているでしょうか。
この問題に関連し、『産経新聞社』と『FNN(フジニュースネットワーク)』が実施した合同世論調査によると、学校の教師やスポーツ指導者による体罰に関し、「場合によっては仕方ない」と回答した人が57.9%、「一切認めるべきではない」と回答した人が40.3%と、意外にも肯定的な意見が優勢な結果となりました。
中でも、30代男性の77.9%の人、20代女性の65.1%が「場合によっては仕方ない」を選び、年齢が高くなるにつれて選択率が下がる傾向が現れていました。
意外にも体罰に対して否定的な意見が少ないように感じますが、実際に世間の人たちはどう思っているのでしょうか?
体罰に対してTwitterに投稿されたコメントを見てみましょう。
体罰“肯定派”の意見
子供への体罰は家庭や学校であれこれと言われてます。
— 最東対地 (@31tota1) 2016年8月28日
私は躾や教育のために手を上げることは肯定派です。だって、家族や教師を怒らせるよりも『外の大人』を怒らせるほうが危なくないですか?教育の一環だという前提がないから、そっちのほうが怖いと思うのです。
出典: Twitter
ツイートを見てみると、小さな子どもとはいえ他人に迷惑をかける前に、“これはいけないこと”と躾として体罰をすることに肯定的な反応をする人が多く見受けられました。
難しい問題ですよね。
— 南海リーチくんです! (@JPnYC9PQJltO0o4) 2016年8月28日
しつけと体罰の境界線
俺はしつけは肯定派です。
出典: Twitter
いくら“しつけ”という名目で行っていても、やり過ぎれば体罰や虐待として問題にされてしまうことは当たり前です。
肯定派の人たちも無差別な暴力を許容しているわけではなく、あくまで“しつけ”ならばいいのではないか?とコメントしています。
体罰肯定派、といわれると「んwwww体罰以外ありえないwww」みたいに聞こえるので、ニュアンスが違うな。
— 競歩ダッシュPL (@toho_T) 2016年8月26日
朝にパンを食べるのもいいよね、くらいの肯定感でひとつ。
出典: Twitter
体罰を“肯定している”と言うと聞こえが悪いですが、先ほどのアンケートの回答のように「場合によっては…」くらいの気持ちならば、多くの人が必要なものであると感じていることが多いようです。
体罰“否定派”の意見
体罰肯定する人がどういうケース想定してるか知らんけど、言うこと聞かんから殴る親って頭悪過ぎて子供が人間として未熟だと認識できてないし、子供にわかるように言うってことができてないし、自分の不満の腹いせに暴力振るってることにも気付かないからね…
— 宮梨里愛 (@miyanashi_stars) 2016年8月26日
出典: Twitter
子どもたちが人間として未熟だとはわかっているのだから、しつけだとしても暴力を振るうことは、ただ自分の不満の腹いせでしかないのでは?というのが反対派の意見。
確かに、言葉で伝えるという手段を放棄してまで、暴力で体に「いけないこと」だとすりこむ必要はないかもしれませんね。
Eテレの10代向け番組で体罰を取り上げていた。ある女子生徒が「先生は怖いだけじゃなく,殴った後で,わかったか?と優しく言ってくれる。体罰とは思わない」というのを聞いて,思わず「DV男と同じだ」と呟いてしまった。他にも「先生の熱意」を理由に暴力を肯定する若者が多く,恐しく感じた。
— 田鎖麻衣子 (@maikotagusari) 2013年2月25日
出典: Twitter
「しつけのため」と言っても、結果的にしていることは暴力でしかありません。
いくら気持ちがこもっていようと、「やっていることはDV男と同じ」という意見もありました。
体罰問題をより複雑にしているのは受けた側の人間が「愛のムチだった」と肯定してしまうこと。自分がやられた事が間違いではなかったと信じたいがために、そう言ってしまう。あれは間違いじゃなかった、自分にとって良い事だった、成長できた、間違いじゃなかった、と体罰をかばってしまう。
— チットロム (@Chitlom1) 2016年8月26日
出典: Twitter
さらに、体罰を受けた人たちが、「あれは愛のムチだ」と肯定してしまうことが体罰をさらに深い問題へと押しやっているとの声も。
実際に体罰を受けた子どもたちの中には、自分がされたことを正当化するために、“体罰”という言葉から目を背けてしまうことが多いようです。
未だ解決には至っていない“体罰”の問題。
これを愛のムチとするか、ただの暴力とするかは人それぞれによって感じ方が違うでしょう。
みなさんは、“体罰”についてどう思いますか?