岐阜県恵那市岩村町で10/1・2「恵那市いわむら秋まつり神輿渡御行列」開催 総勢300人300mに及ぶ大行列が城下町いわむらを練り歩く385年前より続く伝統祭事 (5/6ページ)
本陣正門、
うだつと黒壁が美しい旧家、旅籠、庄屋などが美濃随一のにぎわい
を見せた往時を偲ばせる「大井宿」。戦国武将“明智光秀” に由来す
る「明知」の地には 時代を彷彿とさせる城跡が残ります。殊に、
織田信長の叔母にあたる女城主おつやの方が善政を敷き、最後まで
領民を守った岩村城跡とその城下の町並みは、そこに暮らした人々
の佇まいが残り、訪れた人に かの時代へタイムスリップした感覚を
起こさせる歴史ある風情が魅力です。
※「岩村本通り」は、平成10年に国の重要伝統的建造物群保存地区
に選定されています。
◆ 恵那 岩村に語り継がれる 「女城主」
-領内に徳政をしき、
領民に慕われた心優しい「女城主 」 その悲運の生涯
恵那の岩村には「女城主」の物語が今に伝わっています。
鎌倉期以来、遠山一族の勢力下であった東美濃の地域ですが、戦国
時代後期、城主遠山景前の頃の岩村は、武田信玄の侵攻を受けるこ
とになります。そのさなか城主景前が急死し、跡を継いだ子の遠山
景任は弟の苗木城主遠山直廉と計らい、武田軍に与(くみ)します。
他方、武田信玄と対峙する織田信長は、岩村を信濃と甲斐への重要
な戦略拠点と捉え、自らの叔母である“おつや”(名は諸説あり)を
遠山景任に嫁がせ遠山氏の抱き込みを図ります。この“おつや“こそ
が、後の「岩村の女城主」です。
元亀三年(1572年)、遠山景任・直廉兄弟が相次いで病死すると、
信長は五男の御坊丸(後の犬山城主 勝長)を跡継ぎとして養子に
送り込みましたが、八歳と幼かったため、“おつや”が城主として采
配を振るいました。“おつや”は領内に徳政をしき、領民に慕われた
心優しい「女城主」として今も語り継がれています。
同年の三方ヶ原の戦いで徳川家康を破った武田信玄は、家臣秋山信
友(虎繁)に岩村城奪取を命じましたが、“おつや”側の籠城は四ヶ月
に及び、秋山勢は “おつや”を信友の室とし、御坊丸を信友の嗣子と
することを講和の条件とし開城を求めました。