千原ジュニアにマツコ、引きこもりから脱却したきっかけとは

日刊大衆

千原ジュニアにマツコ、引きこもりから脱却したきっかけとは

 若手俳優の松坂桃李(27)が7月31日放送のトーク番組『ボクらの時代』(フジテレビ系)に出演したとき、休日の過ごし方について、「ずっと家にいちゃう」「ひと言も発しないこととか日常茶飯事」と、引きこもることでストレスを解消していることを告白。ネットでは「根暗すぎる」「闇が深い」と声が上がる反面、「親近感が増した」という意見もあって盛り上がっていた。しかし、松坂のようにストレス解消法ならば救いがあるが、芸能界には学校や職場になじむことができず、ツラい引きこもりを経験してきた人もいる。

 お笑いコンビ・千原兄弟の千原ジュニア(42)は、14歳のときに引きこもっていた。自伝的小説『14歳』(幻冬舎)に当時のことが書かれていて、レベルの高い私立中学に合格したものの、学校になじめず、友だちがいないうえに教師との折り合いも悪かったそうだ。次第に不登校になり、引きこもるようになってしまったジュニアは、部屋でテレビを見て日々を過ごすばかり。近所の人々に奇異な目で見られ、耐え切れなくなった母親は、実家から離れて暮らすことを提案したが、それを奇声を上げながら暴れて拒否。追い詰められた母親は、息子の精神状態を案じて精神安定剤を食事に混ぜたこともあるらしい。

 中高一貫校だったため、高校にはなんとか進学したが、相変わらず引きこもりを続け、たまに学校に行ったある日「もうこんなところにいても自分は何も得ることができない」と思い川に制服を投げ捨ててしまった。そして高校を中退し、これからどうしようというとき、吉本興業の新人養成所に入学していた兄のせいじ(46)からの電話で「おまえ、なにもせんと家におんのやったら、俺吉本にいてるから来いや」と誘われ、お笑い芸人の道に進むことを決意。引きこもりから脱出したそうだ。

 タレントのマツコ・デラックス(43)も約2年間の引きこもり生活を経験している。約5年間、雑誌の編集部で働いていたのだが、人間関係がうまくいかずに退社。実家へ戻って引きこもり、トイレ以外の時間はすべてベッドで過ごした。部屋の雨戸は閉めっぱなしで、ずっとCoccoの歌を大音量でかけていたのだが、マツコによると彼女の歌のおかげで、ギリギリの精神状態をなんとか保っていたらしい。

 そんなマツコが引きこもりから抜け出すきっかけを作ってくれたのは、編集者としてのマツコの活躍を知っていた、小説家でエッセイストの中村うさぎ(58)だった。彼女の対談集『人生張ってます』(小学館)の相手に抜擢されると、引きこもりで溜め込んだストレスを吐き出すようにしゃべりまくり、太りすぎて和式トイレで用を足せなくなってしまった話など、マツコならではのネタで盛り上げた。

 マツコは中村から「アンタは書くべき人間だ」とアドバイスされ、コラムニストとしてデビュー。当初はそれだけでは暮らしていけず、消費者金融から借金もしていたが、テレビに出演するようになると、ズバズバと切り口鋭いトークで人気タレントになっていった。

「R-1ぐらんぷり」で史上初の2連覇を成し遂げたお笑いタレント、なだぎ武(45)は青春時代に引きこもりを経験している。2011年に出版した自伝小説『サナギ』(ワニブックス)によると、小学校高学年から中学2年生の頃まで肥満を理由にひどいイジメを受け、人と関わることが不得意になってしまったそうだ。その後、高校には行かずにメッキ工場に就職。ずっと憧れていたテレビの世界に入りたくて、芸能事務所のタレント募集に応募したが、面接会場の前で緊張してしまい、逃げて帰ってきたことをきっかけに引きこもってしまった。

 引きこもりを続けていくうち親に申し訳なくなってしまい、母親が部屋に届けてくれる食事に手をつけなくなり、なだぎは飲み物と果物以外は口にしなくなった。しかし、鏡で見た痩せ細った自分の姿に驚いて病院に行くと「このままでは死ぬよ」と言われてしまう。この医者の言葉や、引きこもり中に没頭していた、ジョージ秋山の漫画や吉田拓郎の歌の影響で、引きこもりからの脱却を決意したそうだ。

 内閣府が2010年に実施した「若者の意識に関する調査」によると、若年層の引きこもりは69万6000人と推計されるそうだ。彼らにも引きこもりから抜け出すキッカケがあるといいのだが……。

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