横浜銀蝿・嵐「不良っていうのは生き方なんだよ」シリーズ人間力 (1/2ページ)
俺らの時代の不良っていうのは、犯罪者と一般人を分ける塀の上を歩いている感じ。その境界線を歩いていると、みんなが“すごい”って言ってくれるのが楽しいんだよ。
『横浜銀蝿』を結成する前は、みんな暴走族だったからね。モテたかったんだよ。ほら、昔から不良って女の子にモテるイメージがあるじゃない。でも、モテるフリをしていただけで、実際はそうでもなかった。不良って、唾を吐いたりとかして、女の子からしたら汚らしいんだろうな。結局、清潔感がある爽やかな男がいたら、女の子はみんな、そっちに行っちゃうんだよ。やっぱり、清潔感あるやつは常に敵だね。
俺たちは湘南の暴走族だったから、よそから遊びにくるんだよ。埼玉のほうとかから、そうすると連絡が入って、みんなで阻止しに行くわけ。道路の脇にみんなで隠れてさ、来たところを“てめーら、このヤロー”ってウワッて出て行くの。
当然、殴り合いとかにもなってさ。俺たちのときに一番大きかったケンカは“江の島戦争”っていって、東京の暴走族と、神奈川の暴走族が134号線で全面激突しちゃったの。俺はソッコーで逃げたけどね(笑)。しばらくして、戻ったら、道路で車が燃えているし、すごかったよ。
でも、昭和54年に道路交通法が改正されて、暴走族が捕まっちゃう時代になっちゃってさ。女の子にキャーって言ってもらいたいから始めたのに、何もできなくなっちゃった。それで、することもなくて暇だから、暴走族の仲間と“バンドやろうぜ”って始めたのが、『横浜銀蝿』だった。
狙ったわけではなかったんだけど、ちょうど時代にマッチしたんだろうね。校内暴力が社会問題になっていたような時代でさ、ニュースとかでは不良の学生がツイスト踊っているような映像が流れていて、その後ろで必ず俺たちの曲が流されていた。もうデビューして、3、4か月後には『夜のヒットスタジオ』に呼ばれて、あれよあれよと言う間に全国ツアーもできるようになったんだよ。
といっても、小さな事務所でお金もなかったから、移動は電車。みんな私服なんて持ってなかったから、衣装のまんま、移動するから、大体、途中でファンに捕まっちゃう。