浅草に旅行するなら絶対行きたい! おすすめ人気観光スポット14選

雷門をシンボルにし、近年では東京スカイツリーにほど近い観光スポットとして注目を浴びている観光地・浅草。東京の数ある街の中でも人気の観光スポットの一つですが、みなさんは訪れたことがありますか? 今回は初めて浅草を訪れる人も、主要なスポットは何度か訪れたことがあるという人も、どちらも楽しめる浅草のおすすめ観光スポットをお伝えします。
◆仲見世

浅草寺の大提灯を抜ければ、250mの参道の両側に広がる独特の雰囲気の「仲見世」が今日もWell come! 仲見世は日本で最も古い商店街の一つです。徳川家康が江戸幕府を開くと、浅草寺への参拝客も一層賑わいました。その頃に浅草寺境内の掃除をしていた近在の人々に、幕府から境内や参道上への出店営業の特権が与えられました。これが仲見世の始まりでした。
江戸時代には、伝法院から仁王門寄りの店を役店(やくだな)、雷門寄りは平店(ひらみせ)と呼び、水茶屋や土産物店など、次第に店も増え日本でも一番形の整った門前町へ発展していきました。ところが、明治維新の政変で、寺社の所領は政府が没収。浅草寺の境内も東京府の管轄となり、仲見世の営業特権も取り上げられてしまいます。明治18年5月(1885)東京府は一時、仲見世全店の取り払いを命じますが、同年12月に煉瓦造りの新店舗が完成し近代仲見世が誕生しました。
その赤れんがの仲見世も、大正12年の関東大震災で壊滅。同14年に現在の鉄筋コンクリート造り生まれ変わります。が、昭和20年の戦災でまたも内部は焼失。そこから、仲見世の人々の努力でいちはやく復興し、昭和60年秋には近代仲見世誕生100周年を迎えるまでに。
それを記念して、電飾看板の改修、参道敷石の取替工事も行われました。
平成に入ってからは、全店のシャッターに浅草の歳事を表現する模様替え、建物の塗替えや看板類の「リフレッシュ事業」、さらには「電柱撤去地中線化」も完成させ、スッキリとした仲見世になりました。今、仲見世には約250メートルの参道の東側に54店、西側に35店、合計89店の店舗があり、相変わらずの繁盛ぶりを見せています。
■住所:東京都台東区浅草
■交通:東京メトロ銀座線「浅草」駅から徒歩3分
http://www.asakusa-nakamise.jp/about/index.html
◆人力車

浅草に行ったら、ガイドブックを見て回ろうと計画しても、なかなか思い通りにはいかない、といった経験はありませんか? 自分の足であちこち歩いてようやくたどり着いたお目当てのお店がお休みだったり、予想以上に行列でまたされたり。そんなときには、浅草ではだんぜん「人力車」がおすすめです。徒歩で、特に歩き疲れた足で歩くより早く、ラクです。適度な揺れも心地いいし、暑い夏には風がさわやか、冬はちゃんと膝かけが用意されます。ほかにも記念写真のベストポイントを教えてくれたり、シャッターを押してくれたりと至れり尽くせり。
■住所:東京都台東区浅草
■交通:東京メトロ銀座線「浅草」駅から徒歩3分
◆水上バス

東京は、かつての東京オリンピックで道路がかなりの勢いで整備されていき、いくつかの川が暗渠に近い形で塞がれてしまっていたり、道路の下になったりしました。また、川の汚れもかなりのものでした。しかし、地上の道路が大渋滞となったり、鉄道も事故で運休になっていたりする場合もあり、最近は渋滞もない水上交通交通、つまり水上バスが見直されて来ています。一時はそうとう深刻だった川の汚れも地道な浄化活動で少しずつきれいになり、観光客も水辺にも注目するようになっているようです。
東京は意外にも「水の都」だったりします。ここ浅草には、水上バスのルートの要衝となる「浅草」の船着き場・ターミナルがあり、隅田川を通って「浜離宮」や「日の出桟橋」、「お台場」などと航路を結んでいます。航路はさまざまありますが、そのほんの一例を挙げると、下記のようなものがあります。
《隅田川ライン》
【浅草】−約35分−【浜離宮】−約5分−【日の出桟橋】−約40分−【浅草】
吾妻橋や清洲橋など隅田川にかかる個性的な色と形の橋をいくつもくぐり、川の両岸の桜や個性的なビルなどの眺めを楽しみます。
また、《浅草・お台場直通ライン》《浅草・日の出桟橋経由お台場ライン》などでは、漫画家の松本零士氏がデザインした「ヒミコ」や「ホタルナ」が就航。宇宙船をイメージした、シルバー・メタリックの流線形の船ボディが人気を呼んでいます(要予約)。
■住所:東京都台東区花川戸1-1-1(浅草桟橋)
■交通:東京メトロ銀座線 浅草駅:徒歩1分
https://www.suijobus.co.jp/index.html
◆アサヒビールタワー

東京・浅草の名物といえば「浅草寺」「雷門」「浅草演芸ホール」、最近ではもちろん「東京スカイツリー」ですが、この界隈の風景の中に、隅田川のスグ向こう岸にあって、目に焼き付いてしまうものといえば、隅田川に架かる吾妻橋脇に建つ22階建てのアサヒビール本部ビル「アサヒビールタワー」と不思議なオブジェの形なのではないでしょうか。
「アサヒビールタワー」の全面琥珀色のガラスと頭頂部の白い外壁は、泡のあふれるビールジョッキをイメージしたもので、隣接する「スーパードライホール」屋上にあるのは「炎のオブジェ」。「フラムドール(フランス語 flamme d'or、金の炎)」と呼ばれるもので、金色に燃え盛る炎をイメージして作られています。
一連の建物は、1989年に隅田川の吾妻橋のたもとにあった旧吾妻橋工場跡地の再開発で建造されました。これらをデザインしたのは、フランスの著名なデザイナー、フィリップ・スタルク氏。「躍進するアサヒビールの心の象徴」をオブジェの表現に託したものです。原案では、炎の部分が隣接するアサヒビールタワーを突き抜ける形の設計になっていました。しかし、ビールジョッキの形を損ねるのと、外壁のメンテナンスを考慮して、現状の向きに変更されたそうです。
今でこそ、すっかり風景になじんでいますが、25年も前に初めて目にした時には、対岸から見るひときわ異彩を放つビルと、にょろりんとした金色のオブジェに、ほとんどの人が「あれなぁに?」「なんだろう?」とつい見いってしまったものです
「スーパードライホール」の1・2Fには「フラムドール」というアサヒ・スーパードライ生ビールが飲めるビアホールが、3Fには「ラ・フラム」というフランス料理レストランが入っており、4階はイベントホール「アサヒ・アートスクエア」になっています。
■住所:東京都墨田区吾妻橋1-23-1
■交通:東京メトロ銀座線「浅草」駅より徒歩3分
http://www.asahibeer.co.jp/customer/post-5.html
◆浅草寺
「浅草寺」、正式には「金龍山浅草寺」は、観音菩薩がご本尊なので、俗に「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」とも呼ばれ、広く親しまれています。東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所。江戸三十三箇所観音霊場の札所でもあるお寺です。
『浅草寺縁起』等の伝えるところによれば……推古天皇36年(628年)の年に、宮戸川(今の隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網に仏像がかかったと言います。この仏像がその後の浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像です。兄弟の主人であった土師中知(はじのなかとも、「土師真中知」(はじのまなかち)とも)はこの像を拝して出家を決意し、自宅を寺に改めて供養したそうです。原初の「浅草寺」の始まりでした。その後、大化元年(645年)、勝海上人という僧が寺を整備し、観音さまの夢のお告げによりその本尊を秘仏としました。観音像は高さ1寸8分(約5.5センチ)の金色の像と伝えられてはいますが、公開されることのない秘仏なのでその実体はわかりません。
平安時代初期の天安元年(857年)になると、延暦寺の僧・円仁(慈覚大師)がこの寺に来て「お前立ち」(秘仏の代わりに人々が拝むための像)の観音像を造られたそうです。これを機に、浅草寺では勝海を開基、円仁を中興開山と位置付けています。その後、天慶5年(942年)、安房守平公雅が武蔵守に任ぜられた際に、七堂伽藍を整備したと伝えられており、今ある雷門、仁王門(現・宝蔵門)などの原型は、この時点での創建といわれています。
雷門は、慶応元年(1865年)に焼失後、長らく仮設の門でしたが、昭和35年(1960年)、約1世紀ぶりに鉄筋コンクリート造で再建されもの。実業家・松下幸之助が浅草観音に祈願して病気平癒した報恩のために寄進しています。門内には松下電器産業(現パナソニック)寄贈の大提灯があり、三社祭の時と台風到来の時だけ畳まれます。
■住所:東京都台東区浅草2-3-1
■交通:東武スカイツリーライン「浅草」駅より徒歩5分
http://www.senso-ji.jp/
◆ホッピー通り

通称「ホッピー通り」は、浅草寺の西側に広がる居酒屋通り。その名のとおり、もつ焼きなどを出す居酒屋のどの店にも「ホッピー」と大書きされた赤提灯がぶら下がっています。
もともとホッピー自体は、ビールが高価で飲めないという、ふところ具合の寂しいオヤジが代替え品として仕方なく飲むビール風飲料、という感覚でした。すぐ近くに場外馬券場があり、負けがこんでスッテンテンになったそのあげく、帰りにはなけなしの小銭でホッピーでも一杯飲んで帰ろうかというイメージです。なので、ここホッピー通りでは、平日の昼から、休日は朝から飲めます。「アンタ、また昼間っから飲んで、ほんとにしょうがないダメ親父なんだからぁ」などと悪態をつかれても、ここへくれば、同じようなダメ親父どうしで昼間からホッピーともつ煮込みでいっぱいやって、意気投合。そのダメダメ感がいかにも「ホッピー通り」らしさです。
ところで、ホッピー (Hoppy) とは? ホッピーは、コクカ飲料株式会社(現・ホッピービバレッジ株式会社)が1948年に発売した、麦酒様清涼飲料水(ビールテイスト飲料の炭酸飲料の一種)。焼酎をこれで割った飲み物も、ホッピーと呼びます。ホッピーはまたなぜか、モツ煮込みとの相性がバツグン。なので、この「ホッピー通り」は各店で煮込み料理が提供されていることから「煮込み通り」とも。それぞれに味を競っているので、おいしくないわけがありません。
■住所:東京都台東区浅草2-3-19
■交通:つくばエクスプレス「浅草駅」5番出口より徒歩3分
http://asakusakanko.com/hoppy-street/
◆花やしきと花やしき商店街

今から160年ほども前の 1853年(嘉永6年)に、千駄木の植木商、森田六三郎は、牡丹と菊細工を主とした植物園「花屋敷」を開きました。当時は約80000平方メートルほどの敷地面積。江戸時代末期は茶人、俳人らの集会の場や、大奥の女中らの憩いの場として利用され、ブランコが唯一の遊具だったそうです。
明治になると、浅草寺一帯は浅草公園地とされ、花屋敷の敷地は縮小。1885年(明治18年)には木場の材木商・山本徳治郎とその長男・松之助が経営を引き継いでいます。この頃、「花屋敷」の利用者は主に上流階級だったそうですが、しだいにも庶民にも親しまれるようにと、トラやクマなど動物の展示も始め、浅草が流行の地となるにつれ、見世物(活人形、マリオネット、ヤマガラの芸など)などが加わっていきました。戦争中と戦後は閉園していましたが、やがて、1947年(昭和22年)遊園地「浅草花屋敷」と改名。その2年後には東洋娯楽機に経営自体が委ねられ「浅草花やしき」とさらに改められ、現在に至ります。
浅草「花やしき」遊園地で人気なのは、昭和28年に生まれた日本現存最古で今にも壊れそうな風情の「ローラーコースター」、定番の「メリーゴーランド」、浅草の街並を一望できる「Beeタワー」など。コンパクトな敷地にレトロ感覚いっぱいの遊具や乗り物がギッシリ。100人からの貸切利用もできるあたりも大型テーマパークにはない魅力です。
その「花やしき」と浅草寺、歓楽街の浅草六区(ロック)を結ぶ商店街が「花やしき商店街」。「花やしき」と微妙な一体感があるこの場所には、昭和の懐かしい雰囲気が色濃く残り、むしろ、仲見世あたりのように、たくさんの人で賑わい過ぎてはいないところがなんとも言えない魅力。晴れた日より、曇りがちの日などに出かける「花やしき」と「花やしき商店街」の哀感がいいというファン? もいます。
■住所:東京都台東区浅草2-28-1
■交通:つくばエクスプレス「浅草」駅から徒歩3分
http://www.hanayashiki.net/
◆浅草演芸ホール

「浅草演芸ホール」は、浅草の通称「公園六区」と呼ばれている歓楽街の中心にある寄席。都内に4軒ある落語定席の一つで、渥美清、萩本欽一、ビートたけしらを輩出した歴史あるホールとして知られています。
現在の浅草演芸ホールのある場所には、1907年(明治40年)、映画館「三友館」が開業。第二次世界大戦後の1951年(昭和26年)、「三友館」の跡にストリップ劇場「フランス座」となり、1964年(昭和39年)、演劇の劇場「東洋劇場」の4階と5階に落語定席「浅草演芸ホール」を開かれたのです。1971年(昭和46年)、「東洋劇場」の閉鎖にともない1階に「浅草演芸ホール」が移りました。
江戸情緒あふれる外装に、華やかなのぼりが趣を添えるホールは、1年365日、落語だけでなく、漫才、漫談、コント、マジック、紙切り、曲芸、ものまねなど、若手からベテランまで、さまざまな芸人のパフォーマンスを間近で見られる寄席です。客席は1階と2階にあり、全席椅子席の完全自由席。基本的に入れ替え制ではないので、それぞれの都合に合わせて、短時間でも気軽に楽しむことができます。お正月には大勢の客が参拝後に立ち寄るので、毎年、「浅草演芸ホール」は立錐の余地もないほどごった返します。
■住所:東京都台東区西浅草2丁目15番11号
■交通:つくばエクスプレス「浅草」駅より徒歩すぐ
http://www.asakusaengei.com/
◆名物(あげまんじゅう、人形焼、雷おこし)

仲見世通り、新仲見世通りには、外国人の喜びそうな和のグッズやお土産にピッタリのお菓子などの店舗が軒を連ねています。店頭からはおいしそうな匂いが・・・ここでの楽しみといえば、なんといっても食べあるきグルメです。仲見世の店の多くが、熟練の職人による実演販売しているから、その鮮やかな技に見とれ、つい食べたくなってしまうのです。仲見世通りは参道なので、歩きながら食べることはできませんが、店頭脇に設けられたスペースで食べられます。
浅草名物の代表はなんといっても「人形焼き」。元祖人形焼といわれる『木村屋』や『三鳩堂』が有名です。アンの種類や形は店によってさまざま。またお店によって機械式のものや手焼きのものがあるけれど、いずれも焼きたてがとってもおいしい。『木村屋』の形は、鳩、五重塔、提灯、細部にもこだわった雷の4種類で、職人が手焼きの技を見せてくれます。
また、手焼きせんべいも、最近のトレンド。香ばしい香りにつられて多くの人が行列に並んでいます。焼き立てを一枚から買える手軽さも嬉しい。老舗『壱番屋』の海苔煎餅は、浅草海苔に包まれた贅沢な一枚が50円です。手焼きせんべい人気にあやかろうと、「揚げおかき」で有名な『杵屋』も近年、炭火手焼きせんべい専門店を新仲見世通りにオープンしています。
もう一つ浅草を代表する名物といえば、「揚げまんじゅう」です。外はサックリ黄金色に揚がった揚げまんじゅうこそ、ぜひその場で食べてみたい。江戸時代創業の『金龍山』は老舗の風格。『九重』はちょっと小さめで、こしあん、抹茶あん、いもあん、かぼちゃあん、つぶあん、桜あん、カスタードと種類も豊富です。
■住所:東京都台東区浅草
■交通:東京メトロ銀座線「浅草」駅から徒歩3分
http://www.asakusa-nakamise.jp/about/index.html
◆神谷バー

1880年(明治13年)4月、東京府浅草区花川戸町(現:東京都台東区浅草)に、神谷伝兵衛が郷里の三河にちなんだ「みかはや銘酒店」を開業。はじめの頃には濁り酒を売っていました。その翌年には輸入葡萄酒を販売するようになり、さらに浅草に進出して3年後の
1882年(明治15年)には速成ブランデー(現在のデンキブラン)の製造販売を始めるようになりました。電気がめずらしかったその当時、目新しいものというと“電気○○○"などと呼ばれ、舶来のハイカラ品と人々の関心を集めていました。
その後、1912年(明治45年)には、店舗内部を西洋風にして屋号を「神谷バー」と改めます。これが日本で最初のバーとなりました。現在も使用している建物(神谷ビル)は1921年(大正10年)に建てられたものです(2011年(平成23年)には浅草で最古の鉄筋コンクリート造の建造物として登録有形文化財に登録され、2013年(平成25年)に耐震補強工事を完了しています)。
さらに、1960年(昭和35年)に洋食部門の営業開始、1970年(昭和45年)に割烹を開店、1980年(昭和55年)には新館が落成。2004年(平成16年)には神谷バー売場を開業し現在の姿となっています。
明治期にすでに作られた「デンキブラン」は「神谷バー」オリジナルで、その製法は門外不出。ブランデー、ジン、ワイン、キュラソー、各種ハーブなどがブレンドされているらしいのですが、誕生して130年も経った今でもその秘密は明かされていません。現在のデンキブランはアルコール30度。電氣ブラン・オールドは40度です。あたたかみのある琥珀色、ほんのりとした甘味は昔も今も相変わらずの人気ぶり。太宰治の『人間失格』では、主人公に左翼思想を教える悪友をして「酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはない」と言わしめた一品です。
■住所:台東区浅草1丁目1番1号
■交通:東京メトロ・銀座線「浅草」駅下車徒歩1〜2分
http://www.kamiya-bar.com/
◆お祭り(ほおずき市、羽子板市、朝顔市など)

浅草は毎日がお祭りのような賑やかな街ですが、季節ごとのお祭り、行事も盛んで、江戸情緒を今に伝えるものから、新しく発展してきたものまで、一度は訪れてみたいものがたくさんあります。
浅草を代表して、今も、昔も、江戸っ子を熱狂させる祭りといえば、何と言っても毎年5月におこなわれる「浅草三社祭」です。いなせなハッピ姿の男衆や、粋な化粧にキリッとした鉢巻姿の姉さんたちが、威勢よく掛け声を上げながら、御輿(みこし)を担いで各町会を練り歩き、夕刻に浅草神社へ戻る「宮入り」となります。祭りが行われる3日間で例年150万人の人出です。
浅草に夏の訪れを告げるのは、毎年七夕の3日間に開催される「入谷朝顔市」です。「入谷鬼子母神」を中心に言問通りに120軒の朝顔業者や100以上の露店が並ぶので、「浅草朝顔市」とも呼ばれます。日本最大の朝顔市として、例年約40万人もの人が訪れます。
朝顔市が終わると後に続くのが「ほおづき市」です。この日にお詣りすると四万六千日分に相当するということで、江戸時代からこの日のお詣りが盛んでした。この日、浅草寺境内は120店の「ほおずき屋」、その他100店の売店で埋まり、夜を徹して市が続きます。
打って変わって、もう一つすっかり浅草の代名詞ともなっているのが、8月に行われる「浅草サンバカーニバル」です。昭和30年代後半から40年にかけて、当時の内山台東区長と浅草喜劇俳優の故・伴淳三郎氏が、浅草の新しいイメージを作ろうと、サンバカーニバルを提案。これをきっかけに、サンバカーニバルが誕生しました。新しもの好きは浅草っ子の気質です。全国各地からサンバチームが集まり、豪華な衣装を身につけ、華やかなダンスを競い合います。
11月に入ると酉の日に各地の寺社仏閣で「酉の市」が行われます。浅草は、「おとりさま」として親しまれる「鷲神社」境内で、東京で最大規模の酉の市が行われます。江戸時代から開運招福、商売繁盛を願って続く酉の市では、歌舞伎や時事ネタを題材にした、豪華な熊手を売る店が所狭し並び、威勢のよい掛け声が飛び交います。
12月中旬になると、その年を締めくくる歳の市として行われる「羽子板市」が開かれます。江戸期、その年の当り狂言の人気役者の羽子板が並ぶ浅草観音の羽子板市には、江戸中の女性が殺到したと言われます。また、羽根は生まれた児が邪気をはねのけ、すこやかに育つ事に通じるということから、昔から女児の出産には必ず羽子板を贈る習わしがありました。
http://www.e-asakusa.jp/event/1508_sanba.html
◆スカイツリーの眺め

「スカイツリー」ができてから、浅草には新しい楽しみが加わりました。スカイツリーのビュースポットを探すことです。とにかく高さが643mとハンパじゃない高さのスカイツリーだから、あまり近づきすぎると全景は画面に入りません。
浅草からならタワーの全景はもちろん、日本の伝統的な街と最先端のタワーを一緒に撮影できることから撮影スポットとしてもおすすめです。おすすめは、東京メトロ銀座線、東武線浅草駅を付近。スカイツリーとアサヒビールのオブジェが一緒に撮影できる大人気スポットです。また、吾妻橋や言問橋付近からは、迫力のスカイツリーが眺められます。雷門とスカイツリーは一緒には写らないのですが、浅草寺の境内に入り宝蔵門まで行けば、赤い門とスカイツリーを一緒に撮ることができます。隅田川越しに見るスカイツリーです。しかも隅田川沿いにはテラスのあるカフェがあったりして、デートにもおススメです。
浅草からスカイツリーまでは1kmちょっと。15〜20分あれば歩くこともできます。雷門から吾妻橋を渡ってから浅草通りを直進するか、隅田川沿いを歩いて言問橋を渡っていくか、どのルートからでもスカイツリーが目印になるので迷うことはありません。自分自身で気に入ったビュースポットを探しながら、歩いてみるのもいいでしょう。隅田川を運行する水上バスで、水辺から眺める「スカイツリー」。特に見る側が動いていくので、遠近感や周りの建物との対比で移り変わる風景もまたなかなかのものです。
各ポイントから見えるスカイツリーは、天候、時間、季節によっても、さまざまに表情を変えます。また、日没頃から23時まで毎日行われるライトアップは、青系の「粋」や江戸紫系の「雅」、その他、記念日や各シンボルカラーなどさまざまなバリエーションがあるので、何度行っても飽きることはないのです。
■住所:東京都墨田区押上1-1-2
■交通:「浅草」より東武スカイツリーラインで3分「とうきょうスカイツリー」駅
http://www.tokyo-skytree.jp/floor/1st.html
◆墨田公園

「墨田公園」は、隅田川東岸に沿った旧水戸藩邸の庭園を生かして整備されていった公園。1931年に開園しています。江戸時代から「墨堤の桜」として親しまれてきた桜の名所としてよく知られていますが、実はここ、江戸時代に8代将軍・徳川吉宗の発案で、桜を植えたのが始まり。
吉宗が、上野、飛鳥山とともに、この場所に、庶民も花見が行えるようにと開放したという由緒あるものです。市井の声を聞こうと目安箱を設置するなど、享保の改革の一環として、江戸庶民のために桜をせっせと植えていたといいます。おかけで現代人まで楽しめるのだから、名君だったと言えそうです。
岸の両岸は台東区・墨田区のそれぞれが管轄。台東区側はソメイヨシノが中心で、墨田区側はそれに加えてシダレザクラも見られますが、見どころは、桜橋から吾妻橋までトンネル状に桜が続く墨堤桜並木。隅田公園内の桜はすべて合わせると1,000本にもなろうかというスケールです。また、隅田川に架かる吾妻橋から桜橋の約1kmにわたる「隅田川の千本桜」も見事。屋形船や水上バスからもぜひとも眺めてみたいところですが、シーズンにはなかなか屋形船の予約は困難なのだそうです。
■住所:東京都 墨田区 向島1・2・5丁目
■交通:東武伊勢崎線・東京メトロ銀座線浅草駅から徒歩約5分
http://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/kouen/
◆江戸下町伝統工芸館

全部で23区ある東京の区の中でも、浅草のある台東区は最も面積の小さな区です。その台東区には、江戸の昔から工芸品を手がける工房や、神社仏閣の増改築・修復に関わる大工職人・指物職人なども多くいます。つまり、台東区は職人が培った伝統産業の「モノづくり」の町なのです。
平成9年オープンした、ここ「江戸下町伝統工芸館」は、そうした下町の歴史と風土の中で育まれ、受け継がれてきた伝統技能を伝える職人さんの手による、優れた伝統工芸品を集める展示館。展示品はどれも量産製品からは感じとることのできない暖かな温もりを感じるものばかりです。
《常設展示と企画展》
東京桐たんす・江戸指物・江戸簾など、約45業種350点余りを常設展示。江戸べっ甲展や江戸手描提灯展などジャンルを絞っての「作品展」も、年に数回催されます。
《製作実演》
毎週土曜日・日曜日には職人による「製作実演」を実施。長年培われてきた伝統の技を、実際に見ることができます。そのほか「ビデオコーナー」には製作工程を解説したビデオも30タイトルほどあります(ビデオは貸出可能)。
《手作り教室》
事前申し込みが必要ですが、職人を講師に迎えた「手づくり教室」を開催しています。職人が使用するものと同じ材料を使い、オリジナルの工芸品にチャレンジしてみることができます。
「江戸下町伝統工芸館」の場所は、日本最古の遊園地「花やしき」のすぐそばにある、浅草ひさご通り商店街の中ほど。大きく「匠(たくみ)」と書かれた「江戸下町伝統工芸館」の目印の幕は、ひときわ目立つので遠くからでもすぐ見つかります。
■:台東区浅草2-22-13
■:つくばエクスプレス線「浅草駅」から徒歩5分
https://www.city.taito.lg.jp/index/kurashi/shigoto/jibasangyo/kogeikan/
◆合羽橋

雷門から西に進み、「浅草寺」や「花やしき」を横目に見て、めざすは合羽橋北の信号。北の言問通りから南の浅草通りあたりまでの南北の通りが、「かっぱ橋道具街」です。約800m の道に170店を超える店舗が並び、プロも「ここで揃わないものはない」というほど、飲食・厨房用品に関する専門店が軒を連ねる問屋街なのです。
実は、かっぱ橋道具街の歴史は古く、明治末期から大正初期くらいに古道具店が集まり始めたのがはじまりです。料理飲食店器具が中心となったのは、第二次大戦後のことです。とにかくその品揃えはすごく、世界でも珍しいといわれています。お店によっては、「コレっていったい何に使うの?」という、プロの道具もあって興味津々です。
なんといっても人気は「食品サンプル」の店。ホンモノの見紛うばかりの精巧なサンプルのストラップ、スマホスタンドに業務用食品サンプルなど、とにかく迷ってしまいます。現在、主に材料として使われるのは、シリコンなどの劣化しない材料ですが、ここには昔ながらの蝋(ろう)で作る食品サンプルを作る店もあります。1932年に創業した老舗で『元祖食品サンプル屋 イワサキ・ビーアイ 合羽橋ショールーム』では販売だけでなく、ろうを使った食品サンプル製作体験ができます。制作体験は1回20名まで対応が可能です(要予約)。
■住所:東京都台東区松が谷
■交通:営団銀座線「田原町」駅より、徒歩約5分。
http://www.kappabashi.or.jp/
いかがでしたか? 今回ご紹介した以外にも、浅草には東京の古き良き街の情緒を楽しめるスポットが満載。外国人観光客が多いイメージの浅草ですが、日本人のあなたも今一度浅草のスポットを訪れてみてはいかがでしょうか。