週刊アサヒ芸能「創刊60年の騒然男女」スポーツ界「波乱のウラ舞台」<相撲篇/葬られた「確執」>(2)「若貴絶縁」を決定づけた親方の「わかってるな」命令 (2/2ページ)

アサ芸プラス

やく「軋轢の原点は、ハタ目に見てもちょっと力が入っていない一番に見えたが、あそこだったのか」

貴乃花「それは間違いじゃあないですね」

 すかさず、他の出演者が畳みかける。

「(あの一番が兄との)相撲観の差を決定するに至ったのか」

貴乃花「そうですね。私の至らなさだと思っています」

 相撲人生でただ一度、力を抜いてしまった大一番。ベテランの相撲記者が解説する。

「二子山親方は情が厚いどころか、むちゃくちゃ濃い人でしてね。相撲にも全身全霊で打ち込むが、我が子の若乃花に訪れた優勝のチャンスを何とか引き寄せられるよう援護したかったということだと思いますよ」

 しかし当時、平成の大横綱と言われた貴乃花も、まだ23歳。正面から受け止めるには重い事実だった。

「父親の性格や相撲道を最も強く受け継いだのが貴乃花。が、彼は天才で難なく横綱に昇進したというのは間違いです。素質だけで取っていたのはむしろ、若乃花。貴乃花は死ぬ思いと不断の努力で頂点に立った」(前出・ベテラン相撲記者)

 2人のこの差が「相撲観」の違いになって表れたと言えなくもない。そしてそれが、兄弟の確執に──。後年、貴乃花は部屋に集まった報道陣を前に、こう語っている。

「“若貴兄弟”と取り上げてくれるのはうれしかったが、あまりにもきれいに映りすぎていた。必ずこういう時が来るなと、幼心にもわかっていた」

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